●人類社会を大きく変える事象
生命科学の栄枯盛衰を分析するとき、一見、生命科学とは無縁と思えることが大きく影響する場合がある。それらの要因を明確につかみ、どのように生命科学の栄枯盛衰に影響するか、適切に把握することも重要である。
しかし、ダン・ガードナーの著書『専門家の予測はサルにも劣る』(川添節子訳、飛鳥新社、2012年)が述べるように、人間が未来を予測するには、当代一流の専門家にとっても要因が複雑すぎて、要因をいかに複合しても、人間の知的能力を超えている。それに、事故・偶然など、予想外で突発的な出来事が非線形で起こり、それらが未来像を大きく変えてしまう。つまり、ハッキリ言うと、未来を正確には予測できない。
未来を正確には予測できないが、しかし、30年先(2040年)まで考えたとき、大きく変化する事象もあれば、小さくしか変化しない事象もあると、現時点で考えることはできる。例えば、人口は、日本も世界も大きく変化するだろうが、戦争がなければ、各国の面積はほとんど変化しない(だろう)。各国の気候も毎年ほぼ同じで、東京では、冬に雪が降ることはあるが、夏に降ることはない。
ここでは、生命科学の動向に影響しそうな大規模な事象で、「大きくは変化しない事象」、「大きく変化する事象」にわけて、概観する。生命科学の動向分析では、「大きくは変化しない事象」は考慮しないが、「大きく変化する事象」は考慮するためである。
ダン・ガードナーが指摘するように、要因を全部リストすることはできないし、私としてもリストする気はない。というのは、重要と思われていた要因が重要ではなかったり、リストされないほど些細なことが要因で大きな変化が引き起こされることが過去にたくさん生じているからだ。それで、リストは、網羅的ではないが、そうはいっても、どのような要因が生命科学の未来に影響すると考えるのかは、生命科学の動向を考えるだけでなく、現在の生命科学のあり方を考えるとても良い材料になる。
<大きく変化しない事象>
以下は30年先(2040年)まで起こらないと考える。
- 大規模な気候変動
- 大規模な地殻変動や天体系変動。地表面積の大規模な増減。日本に大規模な天災(2011年の東日本大震災レベル)
- 大規模な戦争(第二次世界大戦レベル)
- 日本の大規模な国際化:日本語が廃止され英語になる。欧州連合(EU)のようなアジア諸国連合化。
- 大規模な伝染性疾患。日本人が数百万人以上の死亡
- 資本主義社会が崩壊し新しい社会秩序が誕生する
- 日本の高等教育の大規模な改変
- 日本の研究機構の大規模な改変
- 資源(エネルギー、鉱物、水など)、食糧の大規模な枯渇
<大きく変化する事象>
以下は30年(2040年)以内に起こると考える。
- 世界各国の人口と日本の人口の大きな変化
- 世界各国の経済・政治・社会体制の栄枯盛衰。変化内容・時期は予測不能。
- 大きな技術革新。分野は予測不能。
●人口は大きく変化する
大きく変化する事象の最初に挙げたが、人口変化の予測は一般的に確度が高く、未来の生命科学に大きな影響を与える。ダン・ガードナーは、「人口統計は、未来を予測する人や専門家にとって必需品である」と以下に述べている(とはいえ、人口変化の予測がハズレタケースをたくさん指摘している)。
人口が何人で、性別、年齢がどのように分布し、何人の子供がいるか。これらのことは事前にわかるとされ、将来の予測に使われる。たとえば、今、10歳の少年の人口が多かったら、20年後に30歳の男性の人口が多くなるだろうことは確定的だと考えられる。他にもある。多くの男性は30代を迎える頃には結婚しているか、近い将来結婚するだろう。そして初めて住宅を購入する。第一子が生まれる。つまり、30歳の男性がたくさん出現することがわかっていれば、その頃、求められる物やサービスは想像がつく。全て予測可能だということになる。
人口統計は、未来を予測する人や専門家にとって必需品である。(ダン・ガードナー、『専門家の予測はサルにも劣る』、川添節子訳、飛鳥新社、2012年)
人口変化は、戦争や伝染病の大流行があると、大きく予測とズレるが、そうでなければ、変化は緩慢でおおむね予測通りになる。とはいえ、過去に何度も戦争があり、そのために予測がハズレた事実を了解したうえで、現在の予測を見てみよう。
国立社会保障・人口問題研究所の統計資料によれば、2010年の日本人は1億2654万人で、65歳以上の人が2925万人(22.8%)いた。これが、30年先の2040年には人口が1926万人減少して1億728万人になり、65歳以上人口は948万人増えて3873万人(36.1%)になると予測される。65歳以上人口は総数でも比率でも増加している。
数字ではわかりにくい。国連のデータを借りると、構成比は図表1-25のようだ。なお、高齢化社会に関しては、先進国ではどこも65歳以上の人口が25~35%を占めるようになる。
図表1-25 日本人の年齢構成の変遷と予測:0-14歳、15歳ー64歳、65歳以上(国連のデータ)
図表1-25が示すように、2000年を境に、15-64歳人口が減り、同時に65歳以上人口が増えている。日本人口の平均年齢は2010年に45歳で、2040年で53歳と30年間で8歳も高くなる。
生命科学関連の消費(購買力)で見た場合、若者向けの医療、食品、娯楽は減り、老人向けの医療、食品、娯楽は増えると、単純に考えてよいか? 老人の購買力は若者の購買力より落ちるのこと、老人は女性が多いことを考慮すればよいだろう。
世界を見ると、2012年現在、世界人口は70億人で、30年後の2040年には18億8千万人増えて、88億7千万人となる。人口の増加分は、もう1つの米国と中国が全く新しく地球上に誕生する格好になる(Beyond 7 Billion – latimes.com)。グラフで見るならウォール・ストリート・ジャーナルのサイトが便利である。英語版だと、世界各国の人口変化の予測を自分で調べられる[The World’s Top 50 Countries by Population, Over Time – Graphic – WSJ.com]
高齢化社会は日本だけの現象ではないが、年齢構成は大きく変化する。[日本の人口推移]。生命科学の動向に及ぼす影響は、18歳人口が減ることで、大学学部・大学院入学者は減る。従って、入学者総数の減少した分、大学・学部・学科は不要になる。同時に大学教員も不要になる。生命科学で見た場合、新しい研究分野が登場すれば、今までの研究分野が消滅する。
●トーマス・フレイの消滅職業予測
未来学者のトーマス・フレイ(Thomas Frey)の予測も紹介しよう。彼は2012年2月の講演で、2030年までに現在の職業の約50%が消滅すると予測している。どのような職業が不要になるのだろうか? (出典:2 Billion Jobs to Disappear by 2030)。左記は英語版なので、「コモンポスト」の日本語解説を引用しよう(以下の「 」内の文章を引用した)
- 大規模電力業界
「既存の大規模発電所からの送電電力にほとんど依存せずに、エネルギー供給源と消費施設をもつ小規模なエネルギー・ネットワーク「マイクログリット」が普及することで大規模な火力発電所などは消えてしまう」- 自動車運転業の消滅
「運転は、時間、エネルギー、お金の無駄です。また、自家用車の稼働率は10%しかありません。毎年500万人が交通事故で死傷しています。しかし、自動運転車によってこれら全てが解決します。運転は、時間、エネルギー、お金の無駄です。また、自家用車の稼働率は10%しかありません。毎年500万人が交通事故で死傷しています。しかし、自動運転車によってこれら全てが解決します」。
- 自動車運転業の消滅
- 学校授業
「インターネット上にある教材で学習し、自力で勉強できるようになります。このシステムが普及すれば、これまでのような画一的な学校の授業は不要となります」。 - 衣服・靴製造業
「立体的なものを製造できる3Dプリンター技術の進歩によって、これまでのようなネジでとめたり、溶接したり、塗装したりという仕事は不要となります。また、大企業にしか作れなかったものも、中小企業でも製造可能となりあらゆるものが3Dプリンターで製作されるようになるでしょう。それは、自動車や機械などは言うに及ばず、衣服などを扱う軽工業から建築などの建設業、あるいは食品産業といったあらゆる産業で応用が可能です」。 - 農業・漁業・兵士
「高性能ロボットの開発によって、ほぼ全ての物理的な仕事をロボットが行うようになり、人間の仕事は精神的、知的なものに集中します」。
●日本国は衰退するとして生命科学を予測する
30年先(2040年)までの生命科学の動向を予測するとき、一般的に生命科学の発展を願って(期待して)計画する。だから、ついつい、未来の日本が発展している状況を夢見る姿勢が強いかもしれない。しかし現実を直視すれば、日本は衰退すると予測する方が正しいだろう。衰退のスピードを10年で5%衰退するとしよう。
どの事象のどの部分がどのように衰退するか予測するのは難しいが、全体的にみて、右肩上がりではなく右肩下がりになる日本を想定し、生命科学の動向を予測する。
「日本が衰退する」と書くと、感情的に反発する読者がいるかもしれない。データは、30年間で、日本の消費・労働人口は数割減少することを示している。人口が減少するだけでなく、高齢者社会になる。「日本が衰退する」定量的データだ。
定量的データではないが、筆者が思う「日本が衰退する」もっと大きな要因は、現代の日本人に「発展する意欲がない」ことだ。このことの「良い悪い」を論じる気はないが、「発展する意欲がない」国は、どうやっても発展しない。
ハングリーではない人に、食べ物を見つける方法・増やす方法を提示しても興味を示さないし、ガツガツとは食べない。能力・体力・スキルがどれだけあっても、「士気の低い」選手が多いスポーツチームは負ける。日本人はソコソコ満たされ、「ゆとり教育」「安全安心」が求められ、若者から中高年まで「無気力」「うつ」が増え、「夢」「ヤル気」はなく、毎年3万人も自殺する。
要するに知識・スキル・経験・能力を身につけても、現代の日本人は「ヤル気」がないからやらない。未来はこうなるから、現在、こうしなさいとどれだけ示しても、「ヤル気」がないからやらない。だから、「日本が衰退する」。「日本が衰退する」という前提で、生命科学の動向を予測するしかない。
また、上記の「トーマス・フレイの不要職業予測」にあるように、インターネットやビデオで授業が大幅に不要になり、教育のための大学教員は大幅に失業するかもしれない。しかし、筆者は、「日本の高等教育の大規模な改変」はないと想定している。
もう20年以上前から、欧米の大学は、学生の約半分が社会人大学生・院生(パートタイム学生)である。ある時期以降、日本政府は欧米の大学を見習って、パートタイム学生・院生制度を導入しようとしたが、失敗した。
日本の多くの識者が高等教育改革を叫んできたが、意図的な大規模改革はできていない。今までの改革は、時代の流れに遅れつつ、成行きで、仕方なく変化させてきた改革である。筆者もことあるごとに改革を提唱するが、実行されない(例:本書の第1章2節の歯学部。バイオ政治学第2巻、第3巻で提唱した改革)。それで、本書では、「日本の高等教育の大規模な改変」はないと想定して生命科学の動向分析をすすめる。
これで、第1章を終える。
今回は以上です。
次回をお楽しみに。
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