1‐2‐2.研究費配分で「基幹的発見」を支援・育成できていない

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日本政府の研究費配分機関

前回、日本は研究費で「1.潜在期」「2.始動期」の研究を支援・育成できていないと述べた。実は、「1.潜在期」「2.始動期」の研究を支援・育成すると思える研究費枠はある。スルドイ読者は、筆者が間違えたと思うかもしれない。それで、話の脇道ついでに、研究費のことをもう少し述べよう。

日本の大学教員の研究費を2大別すると、①申請しなくても大学から交付される研究費(校費:「こうひ」と読む)、②申請し、審査で採択・不採択が決まり、採択されると支給される競争的研究費の2つがある。

①は国立大学の場合、国から支給される「運営費交付金」が原資である(元は国民の税金)。支給された「運営費交付金」の中から、大学本部が、全教職員の給与、大学の建物・施設の維持費・水道光熱費、大学本部の運営費を確保し、その残り(?)を大学教員に研究費として配分する。

各大学は「運営費交付金」を毎年自動的にノホホンと国からもらえるわけではない。国は大学自体にも競争原理・成果主義を課しているので、大学自身も国に、新しい施設や研究プロジェクトを申請する。それらの採択・不採択の結果により、支給される「運営費交付金」額は異なる。なお、2012年の「運営費交付金」総額は1兆1,423億円である。[平成24年度国立大学法人運営費交付金等の概要]。

「校費」とは、大学から各研究室に対して研究費として供給される資金。「校費」は研究に必要な物品、事務用品の購入の他、秘書の人件費、教官の国内向けの出張費などに振り当てることが出来る(出典:コトバンク http://kotobank.jp/word/%E6%A0%A1%E8%B2%BB)。

大学教員は、「校費」として、自分の研究成果に“あまり”関係なく年間50~100万円支給される。額は、大学によって異なるし、教員の身分(教授、准教授、講師、助教)によっても異なる。上記の「コトバンク」で誤解する人がいるといけないが、「校費」は研究そのものに使う「研究費」だけではなく、担当講義や担当学生実験にかかる教育上の経費、研究室の電話代、郵便代(かつて、論文投稿は国際航空便)、研究室の机や椅子、パソコンやプリンター、文具などの経費も含まれる。つまり、水道光熱費以外のほぼすべての研究室の経費を「校費」で賄う。

従って、生命科学でまともに研究を展開するなら、どのような研究テーマであれ「校費」では足りない。競争的資金が必要である。競争的資金は、民間企業や民間財団から得ることもできるが、日本では、政府からの研究助成金が大きな比重を占め、いくつかの省が助成している。そのうち、文部科学省の科学研究費補助金(通称、「科研費」:「かけんひ」と読む)が最大である。

「科研費」は、「文部科学省」が大型研究費を、「日本学術振興会 JSTS」(旧・文部省系列)が中小研究費を掌握している。なお、「文部科学省」傘下の「科学技術振興機構 JST」(旧・科学技術庁系列)も研究助成を行なっている。

「挑戦的萌芽研究」は「1.潜在期」「2.始動期」の研究を支援・育成しているか?

研究費の説明が長かったが、ここで問題にしているのは、研究費が「1.潜在期」「2.始動期」の研究を支援・育成しているかどうかであった。このことを論じるのに最も妥当なのが、前項で、「科研費」だということをご理解いただけたと思う。以下は、「科研費」に絞って話を進める。

「1.潜在期」「2.始動期」を対象としていると思える研究費枠は、「科研費」の「挑戦的萌芽研究」である。その額は、2012年度は56億9280万円で、科学研究費補助金で配分する全体額566億4042万円の10%である(科研費(補助金分・基金分)配分状況一覧(平成24年度 新規採択分))。

10%が多いか少ないか、適正なのか? 誰がどのように判断して決めたのか、「挑戦的萌芽研究」の根拠や哲学・理念などを、筆者は充分に検討していない。しかし、「科研費」の10%が「1.潜在期」「2.始動期」を対象とした研究費なら配分額としては申し分ないだろう。申し分ないというより、多過ぎるほどだ。

で、問題は、「挑戦的萌芽研究」が「1.潜在期」「2.始動期」を対象とした研究費になっているかどうかである。

筆者の解釈は、「挑戦的萌芽研究」は「1.潜在期」「2.始動期」の研究支援・育成になっていない。

日本学術振興会のウェブサイトにある「挑戦的萌芽研究」の説明は以下の通りだ(下線は筆者)。

「挑戦的萌芽研究」は、独創的な発想に基づく、挑戦的で高い目標設定を掲げた芽生え期の研究を支援することを目的としており、「基盤研究」や「若手研究」などの研究種目とは明確に異なる性格を持ったものです。
「基盤研究」や「若手研究」では、応募者が研究期間内に自らの研究を進め、多くの研究成果を上げることが重要になりますが、「挑戦的萌芽研究」では、確実に研究成果をあげる可能性の高さを重視するのではなく、当該研究が、「リスクは高いかもしれないが斬新なアイディアやチャレンジ性に富むものであるかどうか」を重視して評価してください。 [挑戦的萌芽研究の第1段審査における評定基準等 21ページ]

支援対象の研究は、「独創的な発想に基づく」「挑戦的で」「芽生え期の研究」と書いてある。書いてあるまま運営ができていれば、悪くはない。しかし、日本学術振興会が公表している評定基準は以下の通りである。

(1)「挑戦的萌芽研究」としての妥当性
(2)研究課題の波及効果
(3)研究計画・方法の妥当性

(1)(2)(3)ともさらに細かく説明が加えられているが、ここでのポイントは(1)だ。以下に引用する。

・明確に斬新なアイディアやチャレンジ性を有する研究課題となっているか。
・下記のような例示を含め、「挑戦的萌芽研究」としての性格付けが明確に行われており、この種目に相応しい研究課題となっているか。
①新しい原理の発見や提案を目的とした研究
②学術上の突破口を切り拓くと期待される斬新な着想や方法論の提案
③学界の常識を覆す内容で、成功した場合、卓越した成果が期待できる研究
[挑戦的萌芽研究の第1段審査における評定基準等 21~22ページ]

ここで研究費制度の批判を展開する意図はないので、要点しか論じないが、評定基準から判断して、「1.潜在期」「2.始動期」の研究支援・育成を意図していないことがわかるだろう。

つまり、1行目から、「明確に斬新なアイディアやチャレンジ性」の「明確さ」を求めている。「1.潜在期」「2.始動期」の研究は、「明確の場合」は少なく、「明確ではない場合」が多い。他の研究者を説得できるような「明確さ」で研究課題を記述することは難しい。ここで要求していることは、「①前に進める」ことができる研究、つまり、「3.発展期」の研究なのである。2行目以降も一見、「1.潜在期」「2.始動期」の研究を意図しているように見えるが、それは言葉だけである。現実は、「3.発展期」を支援する趣旨の評価基準である。

「挑戦的萌芽研究」は「芽生え期の研究を支援することを目的としており」と書いてあるが、筆者の理解では、実質的には、「1.潜在期」「2.始動期」の研究支援・育成を意図した研究費ではなく、「3.発展期」の研究支援・育成ということだ。場合によると、「4.成熟期」「5.衰退期」「6.すっかり衰退期」から派生した「重箱の隅」研究テーマにも配分している。

「若手研究」「研究活動スタート支援」は「1.潜在期」「2.始動期」の研究を支援・育成しているか?

「挑戦的萌芽研究」が該当しないなら、「1.潜在期」「2.始動期」の研究に対する研究費支援の方策は実施されていないのか? 他の研究費枠に「若手研究」と「研究活動スタート支援」という研究費枠があるが、この枠はどうなんだろう?

<若手研究(S)>…42歳以下の研究者が一人で行う研究(期間5年、概ね3,以上1億円程度まで)
<若手研究(A・B)>…39歳以下の研究者が一人で行う研究(期間2~4年、応募総額によりA・Bに区分)
(A)500万円以上3,000万円以下(H24新規採択課題から一部基金化を導入)
(B)500万円以下(H23新規採択課題から基金化を導入)
<研究活動スタート支援>…研究機関に採用されたばかりの研究者や、育児休業等から復帰する研究者等が一人で行う研究(期間2年以内、単年度当たり150万円以下)[研究種目・概要|日本学術振興会]

という枠がある。現在、「若手研究」制度がなくなり、「研究活動スタート支援」制度へと変わりつつある。しかし、その意図は以下のようだ。

科研費の中核である「基盤研究」とは別に若手研究者向けの研究種目として「若手研究」を設けているのは、研究経験の少ない若手研究者に対して幅広く研究費を得る機会を与え、研究者として良いスタートを切れるように支援するためです[科研費FAQ |日本学術振興会 Q1104]。

研究テーマで選別しないで、研究者のキャリアで選別している。しかし、審査は研究論文を中心に行なっている。先に「挑戦的萌芽研究」の項で、以下の文章を引用した。

「挑戦的萌芽研究」は、独創的な発想に基づく、挑戦的で高い目標設定を掲げた芽生え期の研究を支援することを目的としており、「基盤研究」や「若手研究」などの研究種目とは明確に異なる性格を持ったものです。 [挑戦的萌芽研究の第1段審査における評定基準等 21ページ]

つまり、「若手研究」は「挑戦的萌芽研究」とは「明確に異なる性格」で、「基盤研究」と同じ性格だとある。となると、「基盤研究」と異なるのは、若手を対象としている点だけで、審査の基準は同じですよ、ということになる。

それに、そもそも「若手研究者支援」はヤッカイナな側面がある。以下は一部の人たちの見解だが、そういう面もあるということで書いておく。

若手支援に関する審査を務めた読者の方はご承知だと思うが、日本で「若手研究者支援」というと、実は、有力大学の有力教授が自分の学閥を強めるため、自分の弟子にエサ(研究費、場合によるとポスト、旅費)を与え、自分の味方にさせ、自分の権勢を強化・維持するための仕組みという側面がある。これは、利害関係者を排除する制度を導入しても、制度の名前を変えても、実質はさほど変わらない。

となると、「若手研究者支援」を、「1.潜在期」「2.始動期」の研究支援とからめて正面から論じるのはあまり意味がない。なお、筆者は、有力大学の有力教授を育成する仕組みの存在と必要性には肯定的である。

このようにみてくると、日本の競争的研究費(科研費)に、「1.潜在期」「2.始動期」の研究を支援・育成する仕組みはほとんどないといえる。

研究費の「他用途使用」の禁じ方を変更すべし

かつて日本の大学は、研究費が常時不足していた。筆者が、1970年代に大学院生として過ごした名古屋大学分子生物の研究室は、当時、日本の最先端の研究を進めている研究室だったが、研究費は不足していた。筆者は、その研究室で、人生をかけて研究に打ち込むということは、自分の時間・能力・体力だけでなく、自分の給料も研究につぎ込むものだと思って育った。公私混同だが、「公 → 私」ではなく、 「私 → 公」の公私混同である。それで、研究者として給料をもらうようになってから、多分2000万円以上の私費を自分の研究に使っただろう。

かつて、研究費が常時不足していた時代、公私混同で研究費を捻出したが、研究室での研究費の使い方も今ほど厳格ではなく、「ゆる」かった。当時の名古屋大学分子生物の研究室は、教員が獲得した研究費を大学院生が自分の判断で使っていた。大学院生が研究室の会計係りを務め、大学院生が業者に発注していた。今では考えられないが、研究費の使い方は、研究者(大学院生)の裁量に大きく任せられていた。

「ゆる」かったおかげで、通常の研究のかたわら、遊び心の研究にも、他人に話したらバカにされる奇妙な研究にも、成功する見込みはとても少ないけど試してみたい研究にも、将来の布石として打っておきたい研究にも、研究費を使用できた。厳密に言えば、研究費の「他用途使用」である。

一方、1979年、東京工業大学の工学部教授が研究費を不正に使用した事件が新聞に報道された。この事件が研究費不正の最初の報道である。筆者は、日本の科学研究者の事件を分析し、2011年9月、『科学研究者の事件と倫理』を講談社(税込3,360円)から出版したので、研究者の事件については詳しい。

研究費不正は研究者の事件のなかでも多い方だが、それ以来しばらく、事件はあまり報道されなかったが、ここ10年、多数報道されるようになった。それで、国としても何らかの対策を講じる必要に迫られ、2006年頃だと思うが、文部科学省は、研究費の「目的外使用」「他用途使用」を不正行為としてしまった。(以下、下線は筆者)

科研費は採択された研究課題の研究を行うための研究費であり、対象となる研究課題の「補助事業の遂行に必要な経費(研究成果の取りまとめに必要な経費を含む。)」として幅広く使用することができます。
しかし、研究活動に使うといっても、対象となる研究課題以外の研究に使うことは目的外使用になり認められません[科研費FAQ |日本学術振興会 Q4104]。

「他用途使用」禁止といっても、研究とは全く関係ない私物を研究費で購入することなどが禁止本来の意図であった。しかし、規則を文字通り適用し、というか本来の意図に限定していないため、他の研究に使っても違反とされた。誰も指摘しないが、このため「角を矯めて牛を殺す」ことになり、現実的には、「1.潜在期」「2.始動期」の研究が阻害されることになる。

「遊び心の研究にも、他人に話したらバカにされる奇妙な研究にも、成功する見込みはとても少ないけど試してみたい研究にも、将来の布石として打っておきたい研究」はどれも、「1.潜在期」「2.始動期」の研究で、研究費を申請しても採択されることはない。そもそも、研究者本人でも「海のモノとも山のモノとも思えない」ので、研究費を申請しようとも考えない。なんというか、研究費を申請して行なう、経費に見合った成果を約束できますというたぐいの研究とは違う。

まとめてみると、結局、現在、「1.潜在期」「2.始動期」を対象とした競争的研究費枠はないし、さらに、かつては可能だった、他の研究費を流用して「1.潜在期」「2.始動期」につなげる研究も、現在は危険すぎて行なえない。つまり、日本には、「1.潜在期」「2.始動期」の研究を支援・育成する思想・仕組み・スキルがない。それどころか、封じ込める方向に動いてしまった。

では、「1.潜在期」「2.始動期」の研究資金はまったくないのか? といえば、規則に違反しない範囲で言うと、「校費」か「自費」はある。しかし、前述したように「校費」は少額すぎるし、「自費」は特殊すぎる。

科学は20世紀に大きく発展したが、発展の原動力は「未知への好奇心」や「なんで? という疑問」であり、「海のモノとも山のモノとも思えない」研究をたくさんしてきたことにある。失敗、無駄はたくさんあった。あほらしい研究、他人に理解されない研究、危険な研究もたくさんあった。しかし、「海のモノとも山のモノとも思えない」研究は根源的に重要である。21世紀の現在、科学研究にフロンティアはもうなくて、「海のモノとも山のモノとも思えない」研究をする衝動や意義はもうないのだろうか? 「1.潜在期」「2.始動期」の研究はもう不要なのだろうか?

今回は以上です。
次回をお楽しみに。
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