1‐2‐1.政府の研究費配分を考える


●米国の研究費配分制度を真似て日本の研究費配分制度が発展してきた

動向分析を先に進める前に、動向分析をどう生かすかの視点を書いておく。生かす原理の1つは、重要な研究を支援・育成し、重要でない研究は支援・育成しないことだ。だから、「基幹的発見・発明、概念・方法の確立」が重要なら、それらを支援・育成すればいい。

今まで述べてきたように、「基幹的発見・発明、概念・方法の確立」は「1.潜在期」「2.始動期」に起こり、それ以外には起こらない。「3.発展期」「4.成熟期」の研究は、その分野の知識の蓄積と他分野への応用で、それなりに重要である。しかし、決定的に重要なのは「1.潜在期」「2.始動期」の「②曲げる」研究である。そして、その「②曲げる」研究に対して、日本は研究費で支援・育成し、教育で支援・育成(才能発掘)をしているかと問われれば、「ノー」と答えざるを得ない。

教育での支援・育成は置いといて、研究費での支援・育成をみてみよう。筆者は1995年、米国の生命科学研究の総本山であるNIH(National Institutes of Health、国立生命科学研究機構)の米国・国立がん研究所(NCI:National Cancer Institute)・研究費配分局に、日本人として初めて、客員スタッフ(プログラムディレクター)として滞在した。その部局で、研究費配分の実体を調査分析し、著書として出版した(拙著『アメリカの研究費とNIH』、1996年、共立出版)。というわけで、米国の研究費配分の専門的な経験と知識がある。また、日本で30年以上、国立大学・教員として、生命科学関係の研究費を申請し、採択・不採択の経験がある。それらの経験・実感として、米国と比べ、日本の研究費配分は基本姿勢が何かヘンな気がしている。

米国の生命科学政策の策定・運営は生命科学分野の博士号を持つ元・研究者が行なっている(掛札 堅『アメリカNIHの生命科学戦略―全世界の研究の方向を左右する頭脳集団の素顔』、講談社、2004年)。筆者が客員スタッフとして滞在した研究費配分局の部長は、事実、大学教授から移籍してきた元・研究者で、もちろん生命科学分野の博士号を持っている。それまで、生命科学研究をしてきたので、生命科学「研究」の現場も動向も実体も、研究者とはどういう人たちかも、当事者として、内部の人間として、熟知している。

米国と比べ、日本の研究費配分は基本姿勢が何かヘンな気がしているその「何かヘン」という違和感がなんなのか明確ではないが、1つは、日本の生命科学政策の策定・運営は法学部出身者を中心とした文系官僚が中心に行なっている点だろう。理系出身官僚もいるが、修士卒が主体で、科学的知識はあっても、生命科学「研究」の現場も動向も実体も、研究者とはどういう人たちかも、当事者として、内部の人間としては知識・経験がない。官僚という立場からしか知らない。これでは、素人としてはセミプロ級に詳しくても、プロとしては、生命科学「研究」を熟知している人とは言えない。

研究費は、政策側(例えば、日本だと文部科学省、米国だとNIH)が方針の大枠を決め、詳細な審査は各専門分野の研究者(主に大学教授)が行なう。この「制度」は日本も米国も同じであるが、「実体」は異質といってよいほど違う面がある。「異質といってよいほど違う面がある」と書いたが、「制度」の構成やパーツの個々は少ししか違わないが、総合的な出来上がりが“異質”になるのだ。

絵画に例えよう。ピカソの感動的な絵画の作品を真似たとする。構成、パーツ、線の描き方、色づかいはおおむね真似た。そのどれもが8~9割の再現になったとすれば、全体の出来は8~9割かというと、そうではない。全体として出来上がった作品は、結果として、ピカソの絵画の価値の8~9割には遠く及ばす、一目瞭然の駄作になる。小さな“異質”が集積された全体は、粗悪な模倣品になる。

日本の「研究費」制度は、米国の制度を真似て改善してきたけれど、全体として出来上がった制度を見ると、結果として、「異質といってよいほど違う面がある」制度になっている。「粗悪な模倣品」と断定できるほど明確ではないが、「何かヘン」な印象がある。各パーツは、よく真似ているので、どこが「何かヘン」なのか、指摘するのは難しい。

あえて言えば、パーツではなく「研究費」制度の精神・思想・哲学だと感じる。しかし、米国の科学政策の精神・思想・哲学になじんでいない日本人にそのことを納得させる言葉や価値観がなく、説明はとても難しい。

そして、日本の「研究費」制度はそれなりに改良を重ね、「何かヘン」な形のまま、まとまりのとれた強固なものになっている。となると、「こんがらかった糸」を固く引っ張ってしまった「結び目」のように、今さら解きほぐすのは、最初から作るよりもズッと大変である。

●研究成果は論文数で評価されている:「量」的評価

日本を含めほとんどの国の研究費配分は、基本的に、研究者の過去の研究成果に対して審査し、将来のための研究に配分している。そして、過去の研究成果は「量」と「質」の2面でしか評価できない。

「量」的評価は、研究論文が過去にどれだけたくさん出版されたかという評価である。過去にたくさん出版した研究者は、将来もたくさん出版すると予想できるからである。研究費を申請する人が申請書に自分で過去の研究論文数を記載するの通常だが、他人が調べることも比較的簡単にできるので客観性が高い。また、研究者は研究成果を得るとすぐに研究論文として発表する。研究終了から発表までの期間は半年程度である。つまり、研究成果の判定即時性としても優れている。

当然のことながら、論文数が多いほど高い評価になる。論文数は、単なる数字(3や20や68などの整数)だから、他の研究者との相互比較は簡単である。比較的簡単に調べることができると述べたので、例えば、2012年ノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥・京都大教授の受賞前の論文出版数をチョチョと調べてみよう。

山中伸弥・京都大教授は、2009年に14報、2010年に10報、2011年に13報の論文を発表している。そしてこの数字は、研究者として平均すれば多い方だが、とても多いというほど多くはなく、論文数の世界ランキング表をつくれば上位100位に入らない、おそらく、「およびでない」ほど少ない。山中伸弥・京都大教授のノーベル生理学・医学賞は、研究論文の「量」的評価が高くて受賞されたのではないことは明らかである。

もちろん、「こんなこと、言わなくてもわかってるよ」と、一部の方から文句がきそうだ。ノーベル賞だから、論文数の多少ではなく、画期的な発見かどうかである。

話が逸脱するが、本来、研究成果の評価はすべて同じ基準、つまり、「画期的な発見かどうか」であるべきだ。つまり、ノーベル賞を特別に考えるのではなく、すべての研究成果は、発見が重要かどうかで評価されるべきだ。

ところが、現実の研究成果は研究論文数に基づいて評価されている。例えば、博士号の授与条件は「第一著者の原著論文が1報あること」という規定の大学が多い。「1報あれば、内容は問わない」と記載されていないが、実質上、「内容」は問われない。

大学教員や公的研究所研究員の採用、准教授への昇進、教授への昇任など研究者の能力を評価する時も研究論文の「量」が審査基準の中心である。研究費配分も研究論文の「量」に基づいて配分される面がかなり大きい。

●研究成果は論文内容で評価しにくい:「質」的評価

話を戻して、研究成果のもう1つの評価、「重要かどうか」、つまり、「質」的評価を論じよう。「質」的評価は数値として明確に示しにくい。「質」的評価の内容は、研究成果の学術的な重要さが基本である。その応用として、病気の予防・診断・治療に関する画期的な理論・技術の提示、医薬品開発への貢献、農林水産物・品種改良への貢献、食品開発への貢献、資源保全への貢献、産業への貢献などでも「質」的に評価される。これらの「質」的評価が確定するまで科学界では半年~5年、応用では5~20年と長期間必要である。研究論文が発表されてすぐ評価できるのは、科学者のなかでもごく一部の専門家だけである。

医療・医薬品・農林水産物・食品・資源保全・産業などの応用での貢献度合いは、時間をかけて分析すれば数値として示すことが可能だが、学術的な重要さの度合を数値として示すことは難しい。山中伸弥・京都大教授の発見は、ノーベル賞受賞時の2012年現在では、医療・医薬品・農林水産物・食品・資源保全・産業にはなに1つ貢献していない。ということは、学術的な重要さが大きいと評価されたのである。つまり、「②曲げる」研究が評価されたのである。

学術的な重要さの大きさを数値として示すことは難しいが、1つの指標として、論文が引用された回数が使われる。この被引用回数は論文1つ1つに付与されるので、論文1つ1つの学術的な重要さを数値で示せる。それだと細かすぎるので、論文が掲載された研究雑誌を評価する方式も使われている。該当する研究雑誌に掲載された論文の被引用回数を算出することで求められる。米国のガーフィールドが1955年に開発した「インパクトファクター」という名称の指標で、数値(3.276とか17.892などの小数点数ケタの数字)で表される。

「インパクトファクター」の数値の高い順の研究雑誌のランキング表ができていて、新聞記事にしばしば登場する『ネイチャー』や『サイエンス』はランキング上位のブランド雑誌である。そのブランド雑誌に掲載された論文が学術的に重要で影響力が大きい論文とみなされる。個々の研究者の評価は、出版した論文の全インパクトファクターを足すことで評価される。

ただ、インパクトファクターは、同じ研究テーマ内での比較はできるが(例えば「細胞接着分子〇〇の構造」という研究テーマ内)、原理的に研究テーマ同士の比較はできない(例えば「細胞接着分子〇〇の構造」と「細胞接着分子△△の構造」はどちらが優れているか?)。インパクトファクターは単なる数値なので、もちろん、数値を並べて比べることはできるが、「質」的評価という意味で厳密に優劣をつける比較は問題が多すぎる。ましてや、異なる研究分野の研究論文を越えた比較は本当に参考ていどに考えた方が良い(例えば「ゴキブリの生態学」と「細胞接着分子の生化学」)。

利用上の問題点は他にも多数ある。例えば、インパクトファクターは米国の情報企業(トムソン・ロイター社:Thomson Reuters)がビジネスとして行なっていて、利用料はかなり高価である。日本では、大規模大学や大企業に所属していないと、簡単には利用できず、一般大衆は、かなり特殊な状況でしか使えない。となると、誰もが気軽に確認することができないので、データの透明性や客観性に疑問符が付き、信頼度は低くなる。

研究成果の学術的な重要さを評価する方法として、インパクトファクターを紹介し、「量」的指標ではなく、「質」的指標だと述べてきた。しかし、賢い読者はもう気づいておられると思う。インパクトファクターは、「論文が引用された回数」で算出しているので、ベースは結局、「質」的指標ではなく、「量」的指標だということを。

最近、インパクトファクター以外も開発された。研究成果の「質」を数値として評価する方法を以下に2つ示すことで、ここでの評価方法を締めくくりたい。

① サイマゴ・ジャーナルランク指標(SCImago journal rank indicator  http://www.scimagojr.com/index.php) ・・・無料で利用できる。エルセビア社がインパクトファクターとは別のデータソースであるスコ-パス(Scopus)を使って2007年から算出している。

②アイゲンファクター(Eigen Factor http://www.eigenfactor.org/)・・・無料で利用できる。2009年からトムソン・ロイター社(Thomson Reuters)が採用。インパクトファクターよりも雑誌の重要度が研究者の実感に近いと言われているが、数値の算出法は複雑。中西印刷の説明が良くまとまっている。 http://www.nacos.com/information/generalinfo/eigenfactor.php

●現在、論文数に応じて研究費を配分している

本来、研究成果の評価はすべて同じ基準、つまり、「画期的な発見かどうか」であるべきだと述べたが、現実的には、方法の限界で、結局、研究費の配分も研究論文の「量」に基づいて配分される面がかなり大きい。

「白楽の研究栄枯盛衰6段階説」で述べたように、「1.潜在期」「2.始動期」は研究論文数はとても少ない。その結果、「1.潜在期」「2.始動期」に配分される研究費は、ほとんどない~少額になってしまう。だから、「②曲げる」研究に対して、日本は研究費で支援・育成しているかと問われれば、「ノー」と答えざるを得ないのである。

研究費申請は、過去の研究業績を審査して採否判定されるから、「4.成熟期」の研究が最も多く研究費を得る。そして、「5.衰退期」に入った研究テーマに対してもかなりの額の研究費が配分される。さらに驚くことに、「6.すっかり衰退期」の研究テーマに対してもソコソコの研究費が配分される。研究論文数で評価すればそうなることは自明の理である。

論文が出版されるなら、「研究栄枯盛衰6段階」のどの段階でも、「6.すっかり衰退期」の研究テーマでも、良いではないかという考えもある。一見、正しそうだが、そうではない。論文というのは、「1.潜在期」「2.始動期」の1つの論文と、「6.すっかり衰退期」の1つの論文では、その重要性は大きく異なるのである。

また、研究テーマが優れているから論文が出版されるのではない。研究テーマの優劣にさほど無関係に、研究費があれば論文は出版されるのである。たとえそれが「6.すっかり衰退期」の研究テーマでも、それなりの研究費が支給されれば論文は出版される。「基幹的発見・発明、概念・方法の確立」は終わっても、重箱の隅のような細部の研究はたくさんあって、研究し尽くされ、研究が終わることはないのである。

そして、いつの時代も、どの国・組織も、パイは限られている。つまり研究費の総額は決まっている。だから、「5.衰退期」「6.すっかり衰退期」に多くの研究費が配分されれば、他のステージの研究費は少なくなる。「4.成熟期」の研究は、確立した研究者がその時代の流行の研究をしているので研究費は多く配分される(例えば、山中伸弥・京都大教授のiPS細胞研究)。「3.発展期」も少し目立ち始めているのでソコソコ配分される。結局、まだ見えていない「1.潜在期」「2.始動期」の研究への研究費が少なくなる。

「5.衰退期」「6.すっかり衰退期」の研究者(通常は偉い研究者で、ノーベル賞受賞者、文化勲章受章者なども含む)は、自分たちの研究テーマが「5.衰退期」「6.すっかり衰退期」と知りつつも、既得権として居座り、将来に重要でなくとも、自分の分野の権益を主張する。「5.衰退期」「6.すっかり衰退期」の研究テーマでも、権威ある学者が主張するから、多くの科学者、政治家、官僚、マスコミ、一般大衆は、これからどんどん発展する「3.発展期」だと信じてしまう。それらのことが、まわりまわって、「基幹的発見・発明、概念・方法の確立」研究の支援・育成を阻害してしまうのである。

今回は以上です。
次回をお楽しみに。
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