今まで述べてきたように、人間の知的能力はさまざまであり、生命科学の研究推進の立場から考えると、生得的に知的能力が優れている人たちがいる事実を前提に、小中高の教育制度を構築すべきだろう。スポーツ界、囲碁・将棋界、芸能界などは、小中高の学齢での選別と育成が上手である。学術界・科学技術界でも、優れた能力の持ち主に対し適切な選別と育成をしないと、日本にとって、イヤ、世界にとっても、大きな損失となる。
●才能を活かす方向:大学・学部学科の選択
さて、話を高校時代に進めよう。高校生は、どの大学のどの学部学科を選ぶか?
現在、日本では、優秀な高校生は、理系志望なら医学部、文系志望なら法学部を目指すことが多いと思われる。この選択でOKだろうか?
筆者は、「特に優秀」な高校生は、もっと壮大な対象を選択してほしいと思っている。理系志望なら、数学、理論、コンピュータソフト作成など、論理的思考や創造力(発想力や気づく力)が本質的に重要な解析的な分野を選択してほしい。もっと望むことは、新しい学問分野を創設する意欲ももってほしい。
文系志望の人に全体的なアドバイスはできないが、例として、1つの希望を挙げると、新しい日本語を作ってくれないだろうか? 数百年続いた漢字文化の日本語、そこから誕生した日本由来の平仮名とカタカナ、そして最近は英語化しつつある日本語、と日本語が混乱している。ハングル文字のように、ここらで、「特に優秀」な人が汎用性の高い日本語を作ってくれないだろうか。日本古来の文化的背景を骨子に、英語を取り込み、コンピュータの発展を取り込み、科学技術用語も取り込み、数百年使える日本語を作ってくれないだろうか?
あるいは、理系・文系両方で優秀なら、理系・文系を統一的な概念でまとめる新しい学問を構築してもらえないだろうか?
話を元に戻そう。才能を生かすための学部学科の選び方であった。
医学も法学も実学であり、経験力や記憶力が重要な分野である。そして、人々が医学部・法学部を志望する意図は、個人的な金銭的安定と医師・弁護士などの高い社会的地位である。これでは、「特に優秀」な少年少女が、自分の才能を発揮する意図としては夢が小さすぎる。少年少女よ大志を抱け!
と、筆者が思うのは、もちろん「特に優秀」の意味を、論理的思考と創造力、言いかえると、「頭の回転が速くて、発想力や気づく力」が、並みはずれて「特に」優れていると理解しているからである。
しかし、現代の筆記試験(入学試験や国家試験)をパスするには、記憶力が最大の能力である。というか、そういう選抜試験で高校生の「優秀」さが判定されている。だから、日本は本当に優秀な人材を育成できない。
筆者が、「優秀」と言う単語ではなく、「特に優秀」という単語を使ったのは、記憶力だけではなく、「頭の回転が速くて、発想力や気づく力」が並みはずれて優れている能力を期待したからである。「特に優秀」を、単に記憶力の優れたという意味にとるなら、医学や法学は妥当である。医学は人体部位・病名・症状など記憶する量が多い。法学は法律や判例など記憶する量が多い。
それにしても、記録方法が文字として書き写す(あるいは印刷した)書物しかなく、書物が簡単に入手できない時代ならわかるが、現代では、書物はありふれていて安価である。さらに、外部記憶装置としてのコンピュータは膨大な記憶容量を持ち、しかも、ありふれていて安価である。文字だけでなく音声・動画も保存でき、検索も簡単にできる。人間として、記憶力が優れていて困ることはないが、現代では、記憶力が優れていることが「特に優秀」な能力とは思えない。
科学研究では記憶力はさほど重要な能力ではない。しかし、科学者になるためのステップとして、主に記憶力を試す筆記試験(大学入試、大学院入試、国家試験など)で選別されている。だから、日本は、本当に優秀な科学研究者を選別できていない。
科学研究で重要な能力は、『バイオ政治学第1巻』の「表5-9」に記載したが、以下の6項目である。
1.研究企画力
2.研究方法力
3.研究をまとめる力
4.研究発表力
5.研究倫理
6.基礎力
もちろん、記憶力も必要だが、必要なレベルは、日本人の平均レベルで充分だ。ウソだと思うなら、科学研究者が身近にいる人、あるいは、科学研究者を配偶者にもつ人に聞いてほしい。「あなた知り合いの科学研究者は、特に記憶力が優れていますか?」。あるいは、「あなたの旦那さん(奥さん)は、特に記憶力が優れていますか?」。答えは、「普通です」あるいは「少し悪い」(ここは筆者の印象)という言葉が返ってくるでしょう。
科学研究で重要な能力に関して、筆者とは別の人の見解も述べよう。ゴスリングは、研究を成功させる2つの重要点をあげている。1つは、「適切な計画立案」、もう1つは「良好なコミュニケーション」である。「記憶力」はみじんも登場しない。 [『理工系&バイオ系 大学院で成功する方法』ゴスリング著、白楽訳、日本評論社、2010年] 。
●名称が「イイカゲン」で組織・担当者が「イイカゲン
日本では看板に偽りがあり、本音と建て前が異なる「イイカゲン」が平気で横行していることが多い。日常的な例を1つ挙げると、多くの日本人が指摘しているが、「緑色の信号なのに、なぜ青と呼ぶの?」。こういう「イイカゲン」さが放置されている面が多数ある。筆者はおせっかいにも、時々、担当者に指摘するが、ほとんど改善されることはない。
日本社会に「イイカゲン」が蔓延していて、筆者も、人々も、それに慣れて生きるしかない。「智に働けば角が立ち、とかくに人の世は住みにくい」。それでも、生命科学に関することは「窮屈でも意地を通そう」と思っている。最近の例を1つ挙げよう。
2012年10月9日、山中さんのノーベル賞受賞報道に啓発されて、NHKに、「白楽ロックビル/お茶の水女子大学名誉教授」と名乗って、以下のお尋ねとお願いをした。
以前から違和感を覚えていましたが、今回、山中さんがノーベル賞を受賞した機会にお尋ねとお願いをします。
文部科学省、総務省、およびNHK、朝日新聞など少数のメディアが「ノーベル医学・生理学賞」と報じます。一方、首相官邸、内閣府、文部科学省、および読売新聞など多数のメディアが「ノーベル生理学・医学賞」と報じます。問題にしているのは「医学」「生理学」の順序です。
貴社は、「Nobel Prize in Physiology or Medicine」を「ノーベル医学・生理学賞」と訳していると想定しますが、この場合、英単語の出現順に日本語単語も使うのが妥当、つまり、「ノーベル生理学・医学賞」が妥当だと思いますがいかがでしょうか?
お願いの部分は、貴社の見解が正当だろうがそうでなかろうが、各メディアで用法を統一していただきたいということです。政府も含めた担当者間で協議し、用法を統一していただくようお願い申し上げます。
回答はすぐにきた。以下のとおりである(冒頭の挨拶は省略)。
ノーベル医学・生理学賞につきましては日本では、なじみやすさなどから医学・生理学賞とする表記と英語の語順に忠実にすることなどから生理学・医学賞とする表記と2通りの表記があります。
NHKは、なじみやすさなどから現時点では、医学・生理学賞という表記にしています。
ご理解の程をよろしくお願いします。
報道・取材センター 科学・文化部
NHKふれあいセンター(放送)
「なじみやすさ」という理由は、オカシイ。「生理学・医学」が難解な漢字でも、なじみにくい日本語でもない。NHKが使用している「医学・生理学」と併記された単語の順序が前後しているだけである。そして、首相官邸、内閣府、文部科学省、および読売新聞など多数のメディアは「生理学・医学」を使用しており、NHKが指摘するような「なじみにくい」用語をそれらの組織が用いているとは思えない。
それに、名称が不統一だと国民は混乱するので統一してほしいという点に関しては、NHKは無回答である。
NHKなど社会的に信頼されている組織も、組織を動かすのは1人の人間だから、回答者が「イイカゲン」な人だったのだろうか、それともNHKが「イイカゲン」な組織なのだろうか。それにしても、NHKの回答に、問題点に正面から対処し、日本社会を良くしていこうとする気持ちが感じられない。ガッカリし、あきれた。
筆者は、「智に働くと角が立つけど」、それでも、生命科学に関することは「窮屈でも意地を通そう」と思っている。関係者が改善し「住みにくい」世を少しでも住みやすくできることを期待して。
●高校生と国民をだます大学の学部学科の名称
後の章に続く動向分析では、研究分野や研究テーマが「白楽の研究栄枯盛衰6段階説」のどの段階にあるかを判定することになる。例えば「細胞接着の生化学」は現在「3.発展期」だと判定するなどである。
ところが、「細胞接着の生化学」は有望だから、「細胞接着の生化学」という看板を掲げる研究室をおススメしますとしたとしよう。ところが、実際は、看板と内容が異なる研究をしていたら、動向分析の結果に基づいた提案の意味が大きく損なわれる。分野名やテーマ名の看板と内容が異なるところまでは、分析できない(しない)からだ。しかし、日本では看板に偽りが多く、大学の学部学科の名称が「イイカゲン」で、場合によると、高校生と国民をだますことになりかねないケースもある。1例を挙げる。
筆者が高校生のころ(1960年代)、信州大学(国立)に繊維学部があった。日本が養蚕業や生糸生産で世界的に優れていたために上田蚕糸専門学校を母体として、1949年に信州大学に繊維学部が設置された[信州大学 繊維学部]。
しかし、それ以前の1935年、米国デュポン社の研究者・カロザースがナイロンの合成に成功し、筆者が高校生のころ(1960年代)、世界的に蚕糸業は衰退し、すでに、養蚕関係の学部学科は陳腐だった。それなのに、現在も「繊維学部」という学部が存在するのである。
現在の繊維学部は、蚕糸研究や織物工業を背景にした歴史的な名称が残っているだけである。研究内容・構成学科などは工学部、理学部または農学部とほとんど変わらない。(中略)。繊維学部は、かつて、東京農工大学、京都工芸繊維大学にも存在したが、東京農工大学は工学部に転換され、京都工芸繊維大学は、2006年には工芸学部と繊維学部が工芸科学部として改組された。[繊維学部 – Wikipedia]
繊維学の根幹は、養蚕業や生糸生産の研究教育が中心である。しかし、現在、信州大学 繊維学部は繊維・感性工学系、機械・ロボット学系、化学・材料系、応用生物科学系の4つの系で構成されていて、実質は養蚕業や生糸生産の研究教育がされていない。「研究内容・構成学科などは工学部、理学部または農学部とほとんど変わらない」(上記引用文)。
信州大学には繊維学部とは別に、工学部、理学部、農学部がある。これら3学部と研究内容・構成学科がほとんど変わらないのに繊維学部があるのは、研究内容・構成学科などが重複しても、既得権を守り、勢力維持をしたいためだろう。繊維学の将来の重要性を確信しているわけでも、入学していくる学生の将来の豊かさを確信しているわけでもない。
しかしそれでは、高校生や国民はたまったものではない。学部が存在すれば、国立大学だし、進学する高校生はいる。国民の税金が無駄に投入されることにもなる。
このような教育行政、学部学科の名称は問題が多すぎる。
また、繊維学という旧態依然とした研究分野は「白楽の研究栄枯盛衰6段階説」の「6.すっかり衰退期」に分類することになる。動向分析では、「6.すっかり衰退期」の研究・教育は支援廃止、キャリア選択不可と判定するのことになる。ところが、看板に偽りがあり組織名と研究・教育内容が異なっていると、判定が厄介なことになる。
●過剰な人材育成を続ける分野:歯学部
名称は適切で、特定の研究分野を「3.発展期」だと判定しても、その研究分野にはすでに過剰な人材が投入されていて、おススメできない場合もある。後の章に続く動向分析では、人材の過不足も動向分析の守備に入れたほうが良いとは思うが、現実的には、そこまで分析するのは難しく、筆者の動向分析ではなかなか配慮できないだろう。そこは、読者自身の想像力で補っていただくことになる。
一般に、大学に学部学科があれば、それも、国公立大学や有名私立大学なら、卒業後、その分野の専門家になれ、それなりに就職できると考える。ソコソコ真面目に働けば、定年まで一生(30~40年先)、ソコソコ安定した人生を送れる、と、多くの高校生と国民は思うだろう。ところが、現実は、安定した人生どころか、就職さえも危ない、イヤ、卒業時に専門的資格取得され危ぶまれる学部が存在する。
もちろん、一般的に、どんな国も30~40年先まで考えて社会システムを構築できない面はある。どんなキャリア選択をしても将来の人生の安定が約束されるわけではない。しかし、日本は特に、名称だけでなく、中身の改革が遅すぎて陳腐になっている。学部学科の名称は適切でも、その分野の専門家の人材が過剰で卒業しても就職先がないのに、学部学科を廃止、あるいは入学定員を削減しない。存在すれば、受験生がいて、入学してくる。無知な受験生も悪いが、文部科学省も悪い。
具体例を挙げよう。かつて、教育学部を卒業しても小中高校の教員になれないことが大問題となったが、文部科学省は適切に対処しなかった。その間、どれだけ、若者の努力・才能が無駄になったか。法科大学院もそうである。卒業しても弁護士になれない。
そして、生命科学系の現在の懸念は薬学部と歯学部である。歯学部をみてみよう
日本では、大学の歯学部を卒業し、歯科医師国家試験に合格しないと歯科医師免状がもらえない。歯科医になろうとする人は大学の歯学部に入学する。また、逆に言うと、大学の歯学部に入学するといことは、歯科医になるために入学するのである。
日本に歯学部が29校(国立11、公立1、私立17)あり、入学定員は約2500人で6年制である。ところが、歯科医師国家試験に合格する人は平均70%前後である。しかも、歯科医があまっているため、年々この合格率が低下している。
そのため、歯学部に入学しても、学生の数割は歯科医になれない。となれば、歯学部受験者が減る。特に私立歯科大学は深刻で、諸問題が噴出している。
①金銭面での大学運営の危機
②入学者の定員割れで学生の質の低下。卒業生の歯科医師国家試験合格率が約30%の大学もある。となると、日本全体の歯科医の質は低下するだろう
③それでも私立歯科大学の年間の学費は約1000万円と高額である [私立歯科大学定員割れ問題 – Wikipedia]
日本社会として新たに歯科医になる人は毎年1200人で十分である。それなのに毎年2400人が歯科医師国家試験に合格している。歯科医は毎年、必要数の2倍も生産されている。実感として、すでに、「歯科医院はコンビニより多い」。日本の総人口は減少傾向だから、歯科医師国家試験に合格しても、歯科医として働けない人がますます増えている。
1人の歯科医師国家試験合格までに、どれだけ国民の税金が投入されているのか? 1人の若者が歯科医師国家試験合格するまでどれだけ若者の努力・才能が投入されているのか? キャリアの変更は困難である。これらの税金投入や努力・才能投入が無駄になってしまう。このような事態でも、文部科学省は基本的には当事者に任せる方針で、みずから、積極的に事態を打開し、日本の高等教育を「優れた」体制にする施策を実行しているようには思えない。
国の不作為は珍しいことではない。ただ、動向分析で、特定の研究分野が「白楽の研究栄枯盛衰6段階説」の「3.発展期」だと判定しても、(歯学を「3.発展期」と判定したわけではないが)歯学部のように、その研究分野にはすでに過剰な人材が投入されていて、おススメできない場合もある。というわけだ。世の中、単純じゃないですね。
今回は以上です。
次回をお楽しみに。
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