遺伝的(生来とか生得的)に知的能力の差がある前提で、教育・人材育成をすべき点について、もう少し述べる。
●優れた頭脳の持ち主の教育
日本では、優れた頭脳の持ち主を適切に教育・育成 (「環境」「土壌・肥料」)をする思想・制度がない。これは、日本という国、日本人という集団、当人の人生として不幸であり、損失である。
ここの読者は、少なくとも、世間からみれば秀才(と天才)たちである。「十歳で神童、十五歳で才子」だった人もソコソコいるだろう。ごく普通に勉強してきたと思う人は、では、どうして、医師免許や博士号を取得するなど、世間からみて秀才(と天才)なのか? 「ごく普通」ではない、つまり、平均以上の知的能力はあったハズだ。ただ、日本の小中高大が能力に応じた教育をしていないので、自分で自分の才能に気がついていない人が多いと筆者は想定している。能力平等観の教育制度は国としても個人としても大きな損失である。
読者の中には、以下のような人かそれに近いレベルの人たちがいる(いた?)ハズだ。そして、日本では適切に教育されてこなかったと知ったとき、これからでも自分をどう生かせるのか? 一度、考えてみてほしい。そうすることで状況を改善できる可能性があるからだ。
<知能指数(IQ)>
人間には、背が低い・普通・高い人がいる。同じように知的能力が低い・普通・高い人がいるだろう。知的能力の測定法は容易ではないが、1つの尺度である知能指数(IQ:Intelligence Quotient)では、低い・普通・高い人がいるのは事実である。知能指数は絶対的な尺度ではなく、それだけで判断するのは危険だが、ここでは知的能力の1つの尺度として話をすすめる。
知能指数が高い人に、知的能力が優れている公算は高い。知能指数は、通常は85-114の間で、115を超える人は人口の1%しかいないという。
この人口の1%というのは、どの程度の割合なのだろうか? 知的な視点で算出してみよう。
大学教員(教授・准教授・助教など)が1%に相当するのか? 文部科学省「学校基本調査」(平成24年度)で調べると、大学教員は国公私立を含め177,571人いる。一方、統計局の資料によれば、30~65歳の人は6173万人いる。これらの数値から、大学教員は人口の0.3%いると算出される。1%の3分の1だ。[1.学校基本調査-平成24年度(速報)結果の概要-:文部科学省、2.政府統計:年齢(各歳),男女別人口及び人口性比-総人口,日本人人口(平成23年10月1日現在) ]
大学教員は人口の0.3%と少なすぎる。では、大学院博士課程の院生はどうだろう? 2012年の博士課程入学者は15,564人である。入学者全員が24歳ではないが、その時24歳の人口が131万人だから、「博士課程の大学院生」は、マー、1.2%と算出できる。大学教員を長年勤めた筆者からすると、「博士課程の大学院生」が、特別、知的能力が優れている印象はないが、「115を超える人は人口の1%」の「1%」は、博士課程の大学院生数に相当すると考えていいだろう。
スウェーデンの情報科学・哲学者のノーリンジャー(Ulf Norlinger)は、知能指数が「115を超える人」の知的能力は単に「平均以上 Above average」と分類している(図表1-7)。「平均以上 Above average」はもちろん悪くはないが、特別、知的能力が高いわけでもない。文句なく知的能力が高いと認定されるのは、「知識人、有識者」に多く見られる知能指数135以上の「高ギフテッド Highly gifted」とか、知能指数145以上の「天才 Genius」だろう。[Estimated IQs of the Greatest Geniuses(一部改変。「知的能力者」名は誤解を避けるため元の英語も併記した)]
図表1-7. 知能指数と知的能力者
知能指数 | 知的能力者 | よくいる集団 |
---|---|---|
85 - 114 | 平均 Average | |
115 - 124 | 平均以上 Above average | |
125 - 134 | ギフテッド Gifted | |
135 - 144 | 高ギフテッド Highly gifted | 知識人、有識者 |
145 - 154 | 天才 Genius | 大学教授 |
155 - 164 | 天才 Genius | ノーベル賞受賞者 |
165 - 179 | 高天才 High genius | |
180 - 200 | 最高天才 Highest genius | |
>200 | 測定不能天才 "Unmeasurable" genius |
<ギフテッドと2E>
では、「知識人、有識者」の「高ギフテッドHighly gifted」の「ギフテッドGifted」とはどういうレベルか?
ギフテッド (Gifted)は先天的に平均よりも顕著に高い能力を持っている人のこと、またその能力を指す。その人物における高能力の傾向は誕生時から生涯にかけて見られる。外部に対する世間的な成功を収めることではなく、内的な学び方の素質・生まれつきの学習能力を持つことを指す[ギフテッド – Wikipedia]。
「ギフテッドGifted」の人たちは、「内的な学び方の素質・生まれつきの学習能力を持つ」というわけだから、それなりの教育をすべきだろう。米国では、「ギフテッド」の子供を特別に教育するのを法律で決めている州がいくつもある[ギフテッド教育 – Wikipedia]。一方、日本だと、「ギフテッド」の子を持つ親が教育で悩むことになる[知的能力の高い子ども。小学校時代に出来ることは?(読売新聞)]。
「ギフテッドGifted」と似た範疇に「2E」(Twice Exceptional、二重に例外的)と呼ばれる子供がいる。特殊な才能を持つと同時にディスレクシア(Dyslexia)などの学習障害をもつので、“二重に例外的”な(twice‐exceptional)子供ということになる。そして、同じように、日本では「2E」の子を持つ親が教育で悩む。以下は、「内側から見た自閉症」からの引用である(下線は筆者)。
東堂栄子さんのお子さんは、イギリスに行って、「ディスレクシア」と診断された。その時の、教師の反応を書き留めておられる。イギリスの教師の対応は、素晴らしい。
私の息子は15歳で、イギリスに留学しました。それまで日本の学校では大変な思 いをしていたのですが、そのイギリスで「ディスレクシアではないか?」と言われました。
そのときの言われ方が、私の人生を変えています。
なんと言われたか--。
「彼はとても頭がいい。コミュニケーション能力もすごくある。ところが、話すことはできるのに、どうしてか読み書きが進まない。これはディスレクシアかもしれない。我々はそう信じるに足るだけの証拠を持っている」
ここまでは日本でも言われます。しかし、そこから先が違います。
「でも、今、気づいてよかった。もし彼がそうだとわかったら、彼はいろんな支援を受けることができる。私たちにはいろいろな手立てがある。それによって彼が本来持っている能力を十分に発揮させてあげたいと思う。そのために検査をさせてくれませんか」--そのように言われたのです。
思い出してみると、息子が小学校のころ、「お子さん、読みが遅いですよ。漢字を全然覚えていません。もっとお家で勉強させてください」と言われました。また、「どこかで調べてもらったほうがいいんじゃないですか」と言われたこともありました。
その言い方がいかにも「お子さん、障害がありますよ」とか、「家庭教育、どうにかしたほうがいいんじゃありませんか」「お子さんのしつけはどうなっているんですか」という感じでした。
でもイギリスでは、「彼がディスレクシアなら、いろんな手立てによって、彼の能力を生かせすことができる」と言われたのです。私は一も二もなく、「お願いします」と言いました。
検査の結果でディスレクシアとわかったとき、また違いました。
「おめでとう!」「大当たり!」という感じだったのです。
No Wonder.He is bright.
「彼が、頭の回転が速くて、発想力や気づく力があって、キラキラ輝いているのは、ディスレクシアのおかげですよ」というのです。(『ディスレクシアでも大丈夫』 東堂栄子])
<知能指数の高い人の団体:「メンサ」~「メガソサエティ」>
高い知能指数を持つ人々の世界的な団体として「メンサ」が有名だ[Mensa International]。世界に10万人以上の会員がいて、日本支部に約600人の会員がいる。知能指数130以上が有資格者で、上記の図表1-7の分類では「ギフテッドGifted」の平均値以上が当てはまる。有資格者は人口の上位2%の知能指数の持ち主なので、日本の人口を1億3千万人とすると、260万人もいる。これほど多いと知的能力が稀にみるほど高いとも思えない。
そう思って調べると、知的能力が稀にみるほど高い人を会員資格に持つ団体が世界に10数団体ある。団体名がそのものズバリの「天才協会(Genius Society)」もある。知能指数が130よりも高いことを資格にするいくつかの団体を図表1-8に示す。日本人有資格者数は知能指数の人口割合からの推定人数である。知能指数が160以上のプロメテウス協会(Prometheus Society)の日本人資格者は3,900人である(推定値)。このレベルだと、かなり特殊な知能を持つ人たちの印象を受ける。[High IQ society – Wikipedia]
図表1-8.高知能指数の資格者数と団体
知能指数 | 日本人有資格者 | 団体名 |
---|---|---|
130以上 | 260万人 (2%) | ・ Mensa International |
135以上 | 130万人 (1%) | ・ Intertel |
139以上 | 65万人 (0.5%) | ・ Poetic Genius |
146以上 | 13万人 (0.1%) | ・ International Society for Philosophical Enquiry |
・ One-in-a-Thousand Society | ||
・ Triple Nine Society | ||
160以上 | 3,900人 (0.003%) | ・ Prometheus Society |
171以上 | 130人 (0.0001%) | ・ Mega Society |
<知能指数の高い実在の3人+アルファ>
「かなり特殊な知能を持つ人たち」は神話でも、架空でも、空想上の話でもない。具体的に示そう。そのうちの何人かは「神童(child prodigies)のリスト」に載っている。[List of child prodigies – Wikipedia,]
米国の女性コラムニストであるマリリン・ボス・サバント(Marilyn vos Savant、1946年8月11日 生まれ )は、図表1-8に示した知能指数が160以上のプロメテウス協会(Prometheus Society)の会員の1人で、ギネスブックに「最も高い知能指数」の持ち主として登録されている。彼女が特殊な能力を発揮した逸話がいくつもある。
最近の話題の人物は、測定不能なほど高い知能指数(>200)を持つ米国人女性のアリア・サーバー(Alia Sabur)である。彼女は14歳で大学(ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校)を卒業し、16歳で物資科学工学の博士号を取得し、18歳で世界一若い大学教授になった(ギネス世界記録:2012年)。いろいろなメディアで取り上げられている。動画もある 。
同じく測定不能なほど高い知能指数(>200)を持つ米国在住の日系男性の矢野 祥(やの しょう、Sho Timothy Yano、1990年10月22日 生まれ )も有名だ[サイト1、サイト2]。 父親は日系で母親は韓国系である。9歳で大学に入学し生物学を専攻。13歳でシカゴ大学大学院(医学)に入学。18歳10か月で分子遺伝学・細胞学の博士号を取得する(2009年)。その後、小児科を志し3年後の2012年、医師の資格を取得した。
筆者からみると、矢野 祥のように、知的能力がとても優れている人が、経験力や記憶力が必要かつ重要な実験生命科学や臨床医を選択するのは、もったいない。才能は十分には開花しないだろう。理系志望なら、数学、理論、コンピュータソフト作成など、論理的思考や創造力(発想力や気づく力)が本質的に重要な解析的な分野を選択してほしかった。
知能指数は知らないが、例えば、深谷賢治(ふかや けんじ、1959年生まれ)のように数学を選択していたらどうなっていた(いく)だろう。深谷賢治は日本の横浜で育ったので、通常の22歳で東京大理学部数学科卒だが、28歳で東大・助教授、35歳で京大・教授(現職)、44歳で学士院賞を受賞している。
ハズカシながら、筆者は、深谷賢治と同じ横浜の小・中・高校(全部公立)を過ごした同窓生である。過ごした時代は12年も違うが、「環境」はかなり同じハズだ。しかし、えらい違いである。もちろん、「遺伝子」が大きく違っていたのだろう。
同窓生ついでに、経営コンサルタントの大前研一(おおまえ けんいち、1943年生まれ)にも触れよう。大前研一の知能指数は216と言われている。彼は、隣町の公立中学から筆者と同じ高校に進学した数年先輩である。筆者は同時に在籍していないが、筆者の兄が同じ高校に同時に在籍していた。同じ吹奏楽部だったので、ウワサはよく聞いた(兄:テナーサックス、大前さん:クラリネット。似た管楽器)。
大前研一はどうして自分の知能指数が216だと知っているのだろうか? 彼が自己申告したのではなく、他人がイイカゲンに書いたのだろうか?
筆者の少年時代(横浜)、公立の小・中・高校のどこかの段階で学校主催の知能検査を受けた記憶がある、結果は生徒に一律には知らされず、特別な数値を示した生徒には、学校が生徒の保護者に個人的に知らせた気がする。
おぼろげな記憶だが、ある時、父親が学校に呼ばれ、帰ってくると嬉しそうに、「先生に知能指数は〇〇〇と言われた」と言った。反抗期盛りの白楽少年は父親の自慢話をまともに聞く耳をもっていなかった。それで、自分の知能指数を覚えていない。「〇〇〇」の3文字は「普通だ」という文字だったのだろうけど、つりそこねた魚が大きいように、今思うに、「〇〇〇」は「かなり高い数値」を言った気もする。
しかし、その頃、白楽少年は、知能指数よりも反抗指数の方がずっと高く、父母なき今となっては、「〇〇〇」は永遠に未知のままである。イヤ、どう考えても、「普通だ」ですかね。
今回は以上です。
次回をお楽しみに。
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