1‐1‐4.「基幹的発見」の特徴を探る

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●改良に「基幹的発見」はない

なぜ、「①前に進める」研究ではなく、「②横に曲げる」研究がそんなに重要なのか、科学技術の発展の仕方を考えてみよう。「科学技術」と大げさに考えないで、身近な道具で考えてもよい。

スライドとスライドプロジェクター・・・研究者にとって身近な写真、そしてスライドプロジェクターで考えてみよう。

写真はつい20年前まで、カメラの中にフィルム(プラスチック製)をセットし、撮影し、白黒フィルムなら、研究者は自分で現像した。インスタントみそ汁を作るように、袋に入った調製済み粉末を温水に注いで溶かし、現像液と定着液を作った。停止液は酢酸を規定通りに薄めて作った。調製済み粉末ではなく各化学薬品の粉末を測り自分で調合する人もいた。暗室の中で現像タンクにフィルムを入れ、自作の液体を使って、現像、停止、定着し、乾燥した。ネガから印画紙に焼き付けるのも研究者は自分で行なった。というわけで、生物系の研究室には必ず暗室があった。研究者・院生の実験スキルに写真操作は必須だった。

撮影済のフィルムを巻き取り、フィルムをカメラから取り出すまでは明るい場所で行なえるが、フィルムをパトローネ(フィルム容器)からハサミで切り外し、現像タンクに入れるまでは、真っ暗で作業する必要がある。暗室の椅子に座り、作業を頭の中でおさらいし、ハサミを下に落とさないように(落としたらどこにあるかわからなくなる)、フィルムを傷つけないように細心の注意を払って作業した。

そういう現像液、停止液、定着液の作り方、現像する時の温度と時間の按配、などなどの実験スキルは、写真がディジタル化して全く意味がなくなった。現像に必要な装置や技術の改良も全く無用になった。つまり、革新的な技術は「①前に進める」方向の改良とは別の次元で、ある日突然、それまでの写真の薬品レシピ・スキル・装置・思考法は全く無用になったのだ。

写真の次にスライドプロジェクターについて述べよう。学会での研究成果の発表は、かつて、プラスチック製のフィルムのスライドを使い、30人規模の小さな会場でも、数千人規模の大きな会場でも同じ原理のスライドプロジェクターで投影された。大会場ではパワーの大きい機種が用いられたが原理は同じだった。

最初に示すスライドプロジェクターは、1枚1枚手動でずらす方式のスライドプロジェクターである。このタイプだとスライドは4枚しかセットできない。スライド係りは、講演者から渡されたスライドを機械にセットし、終わったスライドを講演者のフライドファイルに戻さなければならず、作業は結構大変だった。一度、スライドの順番を間違えると、悲惨なことになった(写真出典:http://www.rentall-morioka.com/katalogu/eizo/038_slide4.html)。

それが、コダック社のカローセル型(carousel=回転木馬 )に改良されていった。カローセル型は、機械上部のバウムクーヘンみたいな丸い輪を取り外すことができ、その切り込みに講演者がスライドをセットする(80枚や120枚セットできる)。スライド係りがスイッチを押すと所定の場所にきたスライドが光源の前に落ちて投影される。1回の講演分の全スライドを講演前にセットでき、スライド係りは講演者の指示に従ってスイッチを押すだけなので、間違いが大幅に減少し、便利な機械だった。(写真出典:http://landship.sub.jp/stocktaking/archives/000610.html)。

筆者は、1982年、米国留学から帰国するとき、自費でカローセル型スライドプロジェクターを買い、日本に持ち帰り、日本の研究室で使用していた。さらに、1980年代後半、米国で開催の国際学会で、演者自身が自分のスライドをリモートコントローラーで投影したのを見て、素晴らしいと思った。帰国後、筆者はリモートコントローラーを購入し、スライド係りの手を借りずスライドプロジェクターを操作するようになった。

しかし、現在、パワーポイントで作成した電子的スライドを液晶プロジェクターで電子的に投影する時代になった。カローセル型スライドプロジェクターと素晴らしいと思ったリモートコントローラーは単なるゴミと化し、自宅の押し入れで眠っている(捨てる予定)。

このようにスライドプロジェクター自体は改良されても、革新的な技術は「①前に進める」方向の改良とは別の次元で生じ、ある日突然、従来型のスライドプロジェクターは単なるゴミと化し、電子的スライドを液晶プロジェクターで投影することが支配的になるのである。

このように、革新的な技術はいつも、「①前に進める」方向の改良とは別の次元で生じ、ある日突然、それまでのスキル・装置・思考法は全く無用になってしまうのだ。

カン切り・・・スライドとスライドプロジェクターは研究者にとって身近だが、一般大衆にはなじみが薄い。一般大衆になじみがある生活用具「缶切り」で話をすすめよう。「科学技術」というより「生活技術」だが、伝えたいことはわかるだろう。

筆者が子供の1960年頃は、街の乾物屋で魚や肉のカンズメを買うとき、「缶切りをください」と言えば、無料で小さな「缶切り」をくれた(その写真を探したが見つからない)。「やわ」な作りの小さな「缶切り」で、使うにはスキル(コツ)が必要だった。子供のころはうまく開けられず、「缶切り」を曲げてしまうこともあった。

その後、以下のような、使いやすい「缶切り」が開発され、市販され、筆者も使っていた。(「缶切り」の出典:http://store.shopping.yahoo.co.jp/ideal-shop/0162.html)。

現在は、さらに改良された以下の「缶切り」を使っている。(「缶切り」の出典:http://storage.kanshin.com/free/img_30/300638/k994587745.jpg)。

あるとき、さらに改良された電動式「缶切り」を見たとき、それを個人の家庭で使うと勝手に思い込み「フ~ン」と感心した覚えがある。実際は、家庭で使う人は少なく、レストランや調理施設などの業務用だろう(「缶切り」の出典:http://storage.kanshin.com/free/img_30/300635/k1523651421.jpg)。

このように「缶切り」は使いやすく改良されてきた。これらは、すべて、カンを切る刃をカンに半固定し、切り口の移動とともに切る場所をスムースに移動するという原理である。

そして、ある日突然、というほどでもないが、プルトップ式のカンズメが出現し、「缶切り」が不要になった。「缶切り」の改善や「缶切り」を使うスキルどころか、「缶切り」そのものが不要になり、道具としての意味がなくなった。つまり、「①前に進める」改良とは別の次元で革新的な技術が生じ、それまでの「缶切り」の本体・スキル・製造販売法は全く無用になったのだ。

「無用になった」と、過去形で書いたが、「缶切り」無用の状況は、日本では現在進行形である。筆者は、2012年初夏に米国の国立公園を1か月ドライブ旅行した際、米国ではもう全部の缶詰がプルトップ式と考え、「缶切り」をもっていかなかった。ところが、スーパーマーケットのカンズメコーナーを見ると、意外や意外、プルトップ式のカンズメは約3割で、「缶切り」が必要なカンズメが約7割もあった。「缶切り」はまだ必要とされていた。小さい1人用の携帯用カンズメはプルトップ式が多かったが、家庭で使う普通サイズ~大きめサイズのカンズメはどれも「缶切り」が必要なカンズメだった。ということは、「缶切り」無用論は現在進行形ではなく、小さなサイズのカンズメはプルトップ式になっても、普通サイズ~大きめサイズのカンズメは「缶切り」有用という二極化が進むのかもしれない。

とはいえ、「①前に進める」改良とは別の次元で革新的な技術が生じ、従来の「科学技術」が無用になるということはご理解いただけたろう。

●「研究のトライアングル」説

「①前に進める」研究の延長上に「基幹的発見」はなく、「②横に曲げる」研究を重視すべきなのだが、「②横に曲げる」研究をするには何をどう考えればよいのだろうか?

筆者が1995年に提唱した「研究のトライアングル」説がその答えである。『バイオ政治学 第1巻』(2009年)に詳しく書いたので、ここでは軽く触れるだけにする。

ノーベル賞は、「基幹的発見」者に必ずしも授賞するわけではないが、たくさんある科学賞の中で、「①前に進める」研究よりも、「基幹的発見」者に授賞する確率はきわめて高い。そして、ノーベル賞の受賞研究は、科学研究の中の最高の業績(あるいは最高に近い業績)だということは衆目の一致するところだろう。

それで、ノーベル生理学・医学賞とノーベル化学賞の中の生命科学系の受賞について、「どんな新しいこと」が受賞対象の研究結果だったのかを分析した。すると、「新しいこと」は「方法」「物質」「哲学(考え方)」の3つのうちのどれかだったのだ。生命科学の先端的研究例では一般読者がわかりにくいから、卑近な例で「方法」「物質」「哲学(考え方)」の3者の関係を説明しよう。

    この「方法」「物質」「哲学(考え方)」は相互に連携し研究が発展している。例えば、新しい「方法」(例:DNA組み換え手法)が開発されたことで、新しい「物質」(DNA組み換え食品)が発見される。新しい「物質」(DNA組み換え食品)が発見されたことで、新しい「哲学(考え方)」(DNA組み換え食品を社会が受容するか?)が生じる。

    この「方法」「物質」「哲学」の3者は双方向であり、お互いがお互いを刺激し、スパイラル状に研究を押し上げる。というわけで、筆者はこれをまとめて、「研究のトライアングル」説を唱えている(『細胞接着分子の世界』羊土社、1995年)。つまり、研究者は、「方法」「物質」「哲学」のどれかに新しいことを求めればよい。(白楽ロックビル『バイオ政治学 第1巻』、2009年)

学術的ではない例を持ち出したので、「哲学(考え方)」として、「DNA組み換え食品を社会が受容するか?」は適切ではなかったかもしれない。しかし、学術的な研究の進展も、「方法」「物質」「哲学」の3者がお互いがお互いを刺激し、スパイラル状に研究を押し上げている例はいくらでもある。「方法」「物質」「哲学(考え方)」に関して「新しいこと」が生まれる研究と研究者を育成することがとても大事なのである。

今回は以上です。
次回をお楽しみに。
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