1‐3‐3.動向分析の限界


未来を考えないと生命科学をできない

私の動向分析は、生命科学の特定の事象について「白楽の研究栄枯盛衰6段階説」のどのステージにあるか判定することである。読者は特別、未来や動向に関心が高いだろうが、人間はほぼすべて、未来や動向に強い関心がある。

何故なら、未来は現在の人生そのものだからである。人間は未来を考え(予測、希望、期待、夢を抱き、心配し、不安になり)、現在を生きる。未来を考えない(考えられない)と、現在を健全に生きることができない。精神が不安的になり、「絶望」する。どんな、つらい状態、悲惨な状態でも、健全な人間は未来を考える。極端なケースだが、死に直面しても、安らかな未来、あるいは、天国や来世という未来を考える。

同じように、生命科学を目指す人も、現在すでに生命科学者となっている人も、生命科学の未来を考えないと、生命科学を健全に学び・研究・教育することはできない。生命科学関連で働く人は、生命科学の未来を考えないと、健全に生命科学関連の仕事をこなしていけない。

「②横に曲げる」研究の出現を予測できない

私の動向分析は、過去のさまざまな時系列データを集め、それらが生命科学の特定の事象の数年~数十年の動向にどれだけ寄与するかを推定し、「白楽の研究栄枯盛衰6段階説」のどのステージにあるかを判定する。

難しいのは、「1.潜在期」「2.始動期」である。鋭敏な分析をすれば「2.始動期」は特定できるかもしれないが、偏見や勘がかなり入るだろう。そして、「1.潜在期」は途方に暮れるほど、そのステージの研究分野を抽出するのは難しい。データ(事実)に基づずく分析といいながら、根拠となるデータがないからである。

1章2節で、「基幹的発見・発明、概念・方法の確立」は、「1.潜在期」「2.始動期」に起こり、それ以外には起こらないと述べた。そして、「①前に進める」研究ではなく、「②横に曲げる」研究が重要であると述べた。しかし、過去の時系列データから、「②横に曲げる」研究の出現を予測することはできない。定義からして、「②横に曲げる」研究の出現は予測不能である。

従って、研究分野が「2.始動期」「3.発展期」「4.成熟期」「5.衰退期」「6.すっかり衰退期」なのかを予測する。ただ、過去の時系列データから「2.始動期」の研究の出現を予測することは、過去の時系列データが少ないので、難しい。

多くの動向分析は、「2.始動期」「3.発展期」の研究だけを提示している。しかし、私の動向分析は「4.成熟期」「5.衰退期」「6.すっかり衰退期」なのかも予測する。「2.始動期」「3.発展期」の威勢のいい研究は企業も研究者も気持ちいいだろう。「5.衰退期」「6.すっかり衰退期」と判定された研究に関係している企業と研究者は不愉快かもしれない。

しかし、「5.衰退期」に入り、一度下降線をたどった研究分野は再上昇することはない。総資源(ヒト・モノ・カネ・時間)は限られている。その分野は切り捨て、切り捨てた分を「1.潜在期」「2.始動期」の研究分野(まだ確立されていないので、研究分野と呼べないかもしれない)に回す。5年単位の数値が2回下がったら、つまり。下降線が10年続いたら、「5.衰退期」と判断すべきだろう。

「2.始動期」「3.発展期」の研究分野の多くは、10~20年で「4.成熟期」を経過し、30~40年で「5.衰退期」に入る。もちろん、これは一般論で、研究分野によってはもっと早く「5.衰退期」に入る場合もあれば、もっと遅く「5.衰退期」に入る場合もあるだろう。

何が言いたいかといえば、10代~20代の若者が自分の進路として「3.発展期」の分野を選んだとき、40代の中年までは「3.発展期」を謳歌できても、その後、50代~60代になったとき、その研究分野は「5.衰退期」に入っているだろう。

だから、読者に提案したい1つは、自分の現在の研究分野が「5.衰退期」と自覚したら、「2.始動期」「3.発展期」の研究分野に乗り換えることを考え欲しい。

あるいは、かなり冒険だが、40代までは、自分で新しい方向性を見出す努力をしつつも、変化にチャレンジする意識・準備も怠らない。人生のいかなる時も、常に、「1.潜在期」「2.始動期」を模索することだ。キャリア途上で研究分野を変更する考え方とスキルは、現在、研究者の個人的能力に依存している。考え方・知識・スキルを示した書籍はほとんどないし、ましてや教育訓練はされない。日本では、キャリア途上で研究分野を変更できる研究者システムも整備されていない(例外:欧米先進国のポスドク制度、サバティカル制度)。従って、慎重に準備し断行してほしい。

50代~60代になったら研究分野が少したそがれ、人生も少したそがれる(少し早いが、マー、良しとして)。そうなれば、もう、研究分野を変更する必要はないだろう。もちろん、新しい挑戦は人生に興奮と充実をもたらすが、高齢者には失敗も多くなるだろう。

私の動向予測はサルにも劣る?

筆者の動向分析は、データ(事実)に基づく分析が基本である。データに基づくとなると、過去のことしか扱えない。未来は、すべて予想であり推定でしかない。もちろん未来は過去をベースにしているわけだが、未来を予測するための過去と現在はとても複雑である。

そして、諸事情をいかに充分に勘案しても、突発的なことが起こる。事故も起こる。偶然も起こる。例えば、大きな地震がいつどこで発生するか、予知はできない。

カナダ人ジャーナリストのダン・ガードナーは、未来予測に対してデータを示し、辛辣に批判している。彼は、『専門家の予測はサルにも劣る』という本を上梓している。この書名の通り、生命科学の専門家である私の生命科学の動向分析は、オオハズレで、サルにも劣るのだろうか? (『専門家の予測はサルにも劣る』、川添節子訳、飛鳥新社、2012年)。

ガードナーの批判はとても有益である。未来予測に対する含蓄の深い記述が満載である。読者に一読をすすめるが、読んでいない私のブログ読者に、ガードナーの批判点をあらかじめに知らせておくことは重要であり、フェアだろう。それで引用は長くなるが、以下に数ポイントを列記する。

<1.ノーベル賞学者も大間違い

ノーベル賞を受賞するような経済学者でも大間違いをすることがある。
1997年にアジア経済が深刻な通貨危機で苦しんでいた時、ポール・クルーグマン―『ニューヨーク・タイムズ』紙のコラムニストにして、2008年のノーベル経済学賞受賞者―は、アジアにはすばやい対応が求められると書いた。それができなければ、「本物の恐慌のシナリオが実現するのを目の当たりにすることになるだろう。つまり、60年前に社会を荒廃させ、政府を弱体化させ、最終的には戦争につながったような恐慌が起きる」と『フォーチュン』誌の中で述べている。

クルーグマンが,この状況に対して出した処方箋は通貨管理だった。恐慌を避けるためには通貨管理が必要だと。だが、アジア各国の首脳はほとんど通貨管理を実施しなかった。そして、アジアには2年もしないうちに景気がもどった。

著名な学者、政治家、政策者、科学者のいろいろな予測がことごとくはずれていることをデータで示している。以下に示すように、もちろん、著名な生命科学者も予測を外している。

<2.生物学者があり得ないと思ったことが起こった>

1968年に出版され、ベストセラーとなった『人口爆弾』の中で、スタンフォード大学の生物学者であるポール・エーリックは、「人煩全てに食糧を与えようという戦いは終わった。1970年代に世界は飢健を経験する。今、緊急に取り組んでいる対策にもかかわらず、何億人もの人が餓死するだろう」と、述べた。

しかし、1970年代に大飢健は起きなかったし、1980年代にも起きなかった。
「緑の革命」として知られる農業技術の劇的な向上―エーリックが本を書いていた頃にはかなり進んでいた― により、食糧生産の伸びは人口の伸びに追いつくどころか、大幅に超えるものとなったのである。エーリックの考えでは、それは起こり得ないことだった。が、実際に起きた。

予測がことごとくはずれる理由はなんなのだろう? はずれても信じる理由はなんなのだろう?

<3.予測が当たらない理由、それを信じる理由

予測が当たらない原因は,「現実世界の本質」と「人間の脳」にある。
世界は複雑なのだ。予測するには複雑すぎるのである。そして人間の脳は、いかに素晴らしかろうが、完壁には程遠い。認識回路がシステム的に間違いを起こすからである。予測できない世界を、間違いを起こしやすい脳を使って予測すれば、失敗を重ねて当然だろう。

そして,専門家の予測をほぼ無条件で信じてしまう理由は、つきつめていくと人間が生まれつき持つ、不確実性を嫌う性質にある。人間というものは今起きていること、そして将来起こることを知りたいと思う。知らないと認めることには不安がつきまとう。だから、どうにかして不確実性を排除しょうとする。

人は何もないところにパターンを見てしまうものだ。無作為の結果を意味のあるものとしてとらえてしまう。そして,複雑で不確実な話よりも、何が起きているか、何が起きるかについてわかりやすく説明してくれる話をありがたがる。時には、自分でそういうわかりやすい話をつくりあげてしまうことすらある。

しかし、いくら人間が自己欺隔に満ちているとしても、たとえば「株式市場はどうなるか?」「気候はどうなるか?」「石油価格はどうなるか?」といったことや、その他多くの差し迫った問題について、自分はわかっていると思いこむのは難しい。だからわたしたちは専門家をたよる。彼らなら知っているはずだ。博士号、数々の賞、そして有名大学に研究室を持っているのだから。

一方, メディアは,単純でドラマチックな話を好む。ゆえに、わたしたちがよく耳を傾ける専門家というのは,自信にあふれていて断定的にものを言う人たちだ。彼らは何か起きるか知っていて、確信している。わたしたちはそういう人が大好きだ。なぜなら自分たちもそう感じたいからだ。その紬果、わたしたちは「この賢そうな人たちは,今まで誰にもできなかったことをやってのけるはずだ」と思ってしまう。基本的に、人間は信じたいことを信じるのである。

 <4.人間の思考能力の限界:ランダムな変化をとらえる能力が育たなかった

責めるべきは進化だ。脳が進化した石器時代には、カジノも宝くじもiPodもなかった。原始人は、直観的にランダム性をとらえることができたとしても、その能力を使って金持ちになったり、部族の中で一番きれいな女性と結婚したりすることはなかった。また、それによってより健康になったわけでもないし、長生きできたわけでもない。子供を持つ確率空高まったわけでもない。

進化の観点から見れば、それは全く役に立たないものだった。だから、直観的にランダム性をとらえる力は、人間の脳に組みこまれなかった。ゆえにわたしたちは、今でもランダム性をとらえられない。

しかし、ランダム性を認識する能力とは違い、パターンや因果関係を見つける能力は、当時の人々にとって、大変に有用だった。たとえば、一定の間隔で月が満ち欠けするという発見は時間の測定方法を向上させ、それによって毎年夏のある時期になると、ある場所のベリーが実るという賞重な情報を彼らにもたらした。
雨がやむとガゼル(ウシ科の動物)が水たまりにやってくる。
背丈の高い草むらをうろつく人間は、ライオンに襲われることが多い。

<5.この世は予測不能>

ダン・ガードナーの著者を引用してきたが、予測できることは、線形現象で、例えば、「潮の干満や日食は、月と惑星の動きによって起こるものであり、そこには法則がある」。だから、「単に計算をするだけで、次にリオデジャネイロで日食が起きる日を正確に知ることができる」。

ところが、「この世には線形よりも、非線形のものの方が多くほとんどの人が興味を持っているような予測システムはたいてい非線形的な特徴を持っている」。だから、「雲がどのような形になるかは予測できない」。

結局、彼は、この世の出来事は予測不能だと結論している。

未来予測を検証するにあたっては、まず、未来がどのように変動するのかを知る必要がある。カオス理論、バタフライ効果、フィードバック現象などなど、未来を変え得る事象は無限にある。そう、わたしたちが生きているのは、そもそも予測不能な世界なのだ。

それでも、人間は未来の予測なしに健全に生きることができない。

ダン・ガードナーの指摘を了解したうえで、生命科学に関する事象を予測しよう。ダン・ガードナーの説を取り入れれば、予測の結果は大いにはずれる可能性が高い。イヤ、そんなことはない、確度の高い予測をしようと、私は考えているが、残念ながら、多分、ダン・ガードナー惰正しいだろう。それでも生命科学に関する事象を予測あする。というのは、結果がどうあれ、予測の作業の過程で、自分なりにいろいろ考える。未来を考えるその思考を通して、自分が今、健全に生きることができるからである。

今回は以上です。
次回をお楽しみに。
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