1‐1‐3.「基幹的発見」をする研究を見つける

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●既存の学問を「①前に進める」または「②横に曲げる」

前回、「白楽の研究栄枯盛衰6段階説」で説明したように、「基幹的発見・発明、概念・方法の確立」は「1.潜在期」「2.始動期」に起こり、それ以外には起こらない。「3.発展期」「4.成熟期」の研究は、その分野の知識の蓄積と他分野への応用である。

科学研究者の研究姿勢は2つある。拙著『バイオ政治学 第3巻』(2012年)から引用しよう。

1つは、現在ある学問を広げる姿勢で、もう1つは、学問を新しく作る姿勢である。日本は、ほぼ全員が前者で、明治以降現在も、学問を西欧から輸入し学んできた。しかし、西欧に追いつこうとする姿勢では、日本から新しい学問は生まれない。追いつく頃、相手は別の進歩を遂げ、一歩も二歩も遅れる。日本の学問はいつも根本が西欧にあり、自分で新しい価値観と基準をうちたてることをしてこなかった。しかし、「現在ある学問を広げる」だけでは、当然ながら、学問は衰退する。新しい学問を作る学者が必要である。学問を新しく作ることに伴い、材料、方法、理論、価値観、基準などを自分で確立していかなければならない。欧米にはそういう学者がかなり多い。というか、学問本来の強さ・価値はそこにある。だから、学問がダイナミックに展開し、時代を先導する理論や価値観を社会に提示できるのである。しかし、日本は新しい学問を作る文化を許容できず、排除してきた。現在もそうである。(拙著『バイオ政治学 第3巻』、2012年)。

筆者が30代の筑波大学講師のとき、親しかった植物学の高橋助教授は研究のあり方に悩む筆者を、「科学研究で重要なのは、既存の学問を、①前に進めるか、②横に曲げるか」だと諭した。「その分野の知識の蓄積」と「他分野への応用」は「①前に進める」研究であり、「基幹的発見・発明、概念・方法の確立」は「②横に曲げる」研究である。

いずれにせよ、研究遂行には、アイデア、科学的センス、研究方法、知識、熱意、それに、研究施設と研究費と労働力が必要である。研究段階に応じてそれらの必要量はいくぶん異なるとはいえ、「基幹的発見・発明、概念・方法の確立」には、質的に大きく異なる点がある。それは、今までの研究の延長からは予想できない方向に、つまり、「②横に曲げる」ための独創性が必須だということだ。「②横に曲げる」研究は従来の研究の流れを否定・放棄し、未来に向かって“暗闇の中で谷を飛び越える”必要があり、研究キャリア上の大きなリスクを伴う。

●「②横に曲げる」研究への無視、非難、攻撃

科学において、「②横に曲げる」研究、つまり、「基幹的発見・発明、概念・方法の確立」がどれほど重要か、強調してもしすぎることはない。しかし、現実の日本のほとんどの科学研究者は、「基幹的発見・発明、概念・方法の確立」に正面から取り組もうとしない。

理由は3つある。(1)1つ目は、日本の教育は記憶力中心の学び上手(受け身型)人間を良しとし、かつ、そういう人を研究者として選別するシステムになっているので、「学問を新しく作る」とか、研究を「②曲げる」発想をほとんど育てていないし、そういう発想を持つ人材を登用していない。(2)2つ目は、失敗を恐れる優等生が研究者として選抜されているので、多くの研究者は、研究キャリア上の失敗を恐れ、新しい研究分野への移行に腰が引け、リスクに立ち向かう勇敢さが最初からない。(3)3つ目は、「基幹的発見・発明、概念・方法の確立」できる独創的なアイデアを思いつかない。

現実のほとんどの科学研究者は、そればかりか、他の少数の研究者が勇敢に取り組む「②横に曲げる」研究に対して否定的・嘲笑的である。そのために、「②横に曲げる」研究をしている研究者は、多くの研究者仲間から、無視、非難、攻撃を受けるのである。

ピカソの絵画を例に挙げよう。ピカソは、1881年、スペインに生まれた画家で、「青の時代」「ばら色の時代」で、従来の絵画手法・表現で成功を収めていた。しかし、26歳の時、1907年の作品「アビニヨンの娘たち」を発端に新境地のキュビスム(立体派)を創始する。(絵の出典:Les Demoiselles d’Avignon – Wikipedia Museum of Modern Art, New York)

キュビスムは、「それまでの具象絵画が一つの視点に基づいて描かれていたのに対し、いろいろな角度から見た物の形を一つの画面に収め、ルネサンス以来の一点透視図法を否定した」(キュビスム)。絵画の基本は、ルネサンス(14~15世紀)以来、5~6世紀にわたり、対象を写実的に描くことだったが、キュビスムは、20世紀にその基本概念を、大きく「②曲げた」のである。
(『座る女』 1937年。絵の出典:ピカソのキュビスム – 我が道を往く –

キュビスムについては、画家・岡本太郎が著書「青春ピカソ」の中で、“ピカソ芸術の真にピカソ的な展開は立体派(筆者注、キュビスム)に始まる。この芸術革命は既成の絵画理念を根底から破壊し去り、史上驚異的な20世紀アヴァンギャルドを確立する。立体派以後とそれ以前の世界との断絶は、美術史における最大の断層である。”と書いている(ピカソ(7)[総合的キュビスム] – 或る「享楽的日記」伝)。

それに対して、絵画仲間や世間の初期の反応は以下のようだった。

この絵をピカソはごく一部の友人にだけ見せたが、反応は芳しいものではなかった。アンリ・マティスは腹を立て、ブラックは「三度の食事が麻クズとパラフィン製になると言われたようなものだ」と言い、アンドレ・ドランはピカソがそのうち首を吊るのではないかと心配したという。
観衆はそれらの「醜い作品」を見て衝撃を受け、口々に非難を浴びせた。(キュビスム)

要するに、ほとんどの絵画仲間や世間から、当初、無視、非難、攻撃を受けるのである。

●「基幹的発見・発明、概念・方法の確立」の研究をどう見つけるか?

科学研究において、「基幹的発見・発明、概念・方法の確立」の重要性を述べた。じつは、くどくど説明しなくても、それが重要なことは、ほとんどの科学研究者、官僚、一般大衆は、言葉上、概念上は理解していると思われる。概念上は多分、その重要性に賛同し、誰も否定しない。ただ、現実の言動・感情は、全く逆である。多くの研究者仲間は、「②曲げる」研究を無視、非難、攻撃する。研究者が無視、非難、攻撃すれば、官僚、一般大衆も無視、非難、攻撃する。ピカソのキュビスムが非難、攻撃されたように、無視、非難、攻撃されるのである。

それでも、「②曲げる」研究に対して研究費の支援をしようと考えたとしよう。どう支援できるのか? 支援するには、「②曲げる」研究を見つけなくてはならない。「②曲げる」研究をどう見つけるか? これは難しい。

「基幹的発見・発明、概念・方法の確立」は「1.潜在期」「2.始動期」に起こるのだが、この時期に出版される研究論文はとても少ない。だから論文数で判断はできない。それに、明確な研究テーマや研究領域を形成していないので、研究分野でも判断できない。

「1.潜在期」「2.始動期」にある研究を、研究論文、研究テーマ、研究領域で示すことは難しい。多くの研究者は研究論文、研究テーマ、研究領域の存在さえも気がつかない。優れた研究者なら、「2.始動期」の研究をアンテナの張り方で探知できるが、研究者の勘や能力に大きく依存する。一般論として、データを付けて客観的に提示するのは難しい。そして、「1.潜在期」については、“潜在”という言葉が示すように、優れた研究者でも探知できない。データを付けて客観的に提示するのは絶望的である。

では、どうするか? 考え方を変える。
研究論文、研究テーマ、研究領域でみつけるのではなく、人で見つける。

再び画家のピカソに登場してもらおう。ピカソは、キュビスムを創始する前に画家として、すでに、従来の絵画手法で、ソコソコ成功を収めていた。ソコソコ成功を収めていた人が、“仲間が非難するほど”新しいことに挑戦した。そのような状況が「基幹的発見・発明、概念・方法の確立」をする可能性が高いのである。

同じことを科学研究に当てはめる。すでにソコソコ研究成果を得ていた科学研究者が、“仲間が非難するほど”新しい別の研究分野に取り掛かるとき、「基幹的発見・発明、概念・方法の確立」をする可能性が高い。

例えば、利根川進(1939年生、1987年ノーベル生理学・医学賞受賞)である。利根川進は、1968年(28歳)、米国カリフォルニア大学サンディエゴ校で博士号を取得し、米国西海岸の研究室で、「細菌ウイルスの分子生物学」でソコソコ成功を収めていた。1971年、31歳の時、研究テーマを変え、スイスのバーゼル免疫学研究所に移籍し、全く新しい別の研究分野である抗体多様性の問題に着手した。抗体多様性の問題は免疫学の長年の未解決問題だったが、それを新しい研究手法である分子生物学で解くという研究を開始した。数年の内に(33~35歳)、「基幹的発見・発明、概念・方法の確立」に成功し、ノーベル賞受賞対象になる論文を発表するのである。

利根川進は、31歳という若さで全く新しい研究分野に移行した。31歳ということもあり、移行前の研究業績がとても優れているわけではないが、移行前と後での研究分野は大きく異なる。明らかに「②曲げる」研究をしたのである。

なお、彼は、1981年、42歳の時、米国のマサチューセッツ工科大学(MIT)・生物学教授への就任に合わせ、再び、「②曲げる」研究を行なうのである。つまり、研究テーマを「免疫の分子生物学」から「脳神経の分子生物学」に転換した。「免疫の分子生物学」でノーベル生理学・医学賞が授与された1987年(48歳)にはもう、受賞対象である「免疫の分子生物学」を研究していなかったのである。

もう1人、例をあげよう。米国人のエーデルマン(GM Edelman、1929年生)である。エーデルマンは、1954年(25歳)、ペンシルバニア大学で医師免許証を取得し、臨床医として勤務した。1957年(28歳)、フランスのパリの米国陸軍医療部で勤務していたとき、抗体の化学構造が不明であるという本を読み、抗体研究に強く興味を惹かれた。それで、臨床医をやめ、全く別の新しい分野である抗体の研究をしようと、米国に帰国し、ロックフェラー大学大学院に入学した。1960年(31歳)で博士号を取得する。そして、数年の内に抗体タンパク質の化学構造に関する「基幹的発見・発明、概念・方法の確立」を達成してしまう。それで、1972年(43歳)のノーベル生理学・医学賞を受賞する。

彼は、素晴らしい成功を収め、ノーベル賞を受賞したが、利根川進と同じように、その後、再び、「②曲げる」研究を行なうのである。抗体とは全く異なる新しい研究テーマ、脳神経系の細胞接着・細胞認識の研究に移行し、数年の内に、「基幹的発見」である細胞接着タンパク質・キャム(CAMs)を発見する。その後、細胞接着・細胞認識から、脳神経系の大きな概念としての「基幹的発見・発明、概念・方法の確立」を達成するのである。

このように、そこそこ普通の研究キャリアを積み始めたばかりの若い研究者が、20代後半~40代で全く別の新しい研究分野で研究を開始するとき、「基幹的発見・発明、概念・方法が確立」される可能性が高い。“仲間が非難するほど”の新しさかどうかは、なかなか判断が難しいが、少なくとも、20代後半~40代の研究者が、全く別の新しい研究分野で研究を開始することが重要なのである。

従って、「基幹的発見・発明、概念・方法の確立」の研究を見つけるには、20代後半~40代の研究者で、全く別の新しい研究分野で研究を開始する人を探せばよい。特に、研究者仲間が無視、非難、攻撃する研究テーマの場合は、なおさら有望である。

今回は以上です。
次回をお楽しみに。
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