1‐1‐1.過去の科学と進行中の科学


●アメリカの国立公園で考えた

2012年初夏、アメリカのユタ・ワイオミング・サウスダコタ・コロラド州の国立公園を1か月ドライブ旅行した。アメリカの国立公園は、桁違いに「すごい!!」。ワイオミング州のイエローストーン国立公園はその中でも有名な国立公園の1つである。熱湯が定期的に吹きあがるガイザー(間欠泉)で有名だが、たくさんの野生動物の大鹿(エルク、ムース)、バイソン、熊に遭遇した。とてもワクワクした。

●ダイナソア国定公園で考えた

あまり有名ではないダイナソア国定公園(Dinosaur National Monument)にも行った。この国定公園はユタ州とコロラド州にまたがる公園だが、恐竜の化石がある。恐竜は、正直なところ、興味がない。イエローストーン国立公園で生きている本物の野生動物に遭遇したが、恐竜は生きている状態では見たことがない(マー、当然ですが)。

通常は、博物館で化石骨をつなぎ合わせた恐竜にしかお目にかかれない。各地の博物館の骨が本物かどうか詮索しないが、本物に似せたプラスチック製でも大差ない。恐竜の獰猛さや生活の様子は人々に面白がらせる要素が多分に入った、いわば、作り話の面を感じてしまう。まったくワクワクしない。

ダイナソア国定公園は、実のところ、当初、行くつもりはなかった。ドライブ旅行のルートの都合で、ちょうどそのあたりで宿泊する。宿泊するけれど、周辺に観光するめぼしい国立公園はない。国定公園なので、まあ、ヒマつぶしに見ておこうかといういい加減な動機だった。ユタ州側の入口から入ると、ダイナソア・クオーリー・ビジターセンター(Dinosaur Quarry Visitor Center)があり、そこからシャトルバスで、展示館(Quarry Exhibit Hall)に行ける。展示館は5年にわたる改修工事期間中は閉鎖され、2011年10月から一般公開された。「ついでに見ておこう」といういい加減な訪問だったが、ラッキーだった。(Utah dinosaur quarry opens to visitors again

説明によると、1909年、アール・ダグラス(Earl Douglass)がこの地で最初に、恐竜の背骨をほんの少し見つけた。それから、掘って掘ってワクワクし、見つけて見つけてワクワクした(に違いない)。どこにどれだけあるのか考えてワクワクし、なぜここにあるのかを考えワクワクし、これらの骨をどうしようかと考えてワクワクした(に違いない)。

初期の発見者たちは、恐竜の化石が、人類社会に対して歴史的・学問的な大発見となり、国や所属機関に莫大な富と宝をもたらす。そして最も重要な動機だが、自分自身にも大きな富と名声をたらすと考えた。いくつかの困難を克服しつつ、夢中で探索し、興奮して寝付けない日々が続いた。大きな充実感・昂揚感のなかで数年間~10数年間を過ごした(に違いない)。

展示館(Quarry Exhibit Hall)は、小学校の体育館ほどの広さである。2階から入り、見学し、1階に降り、見学し、1階から退出する。下の写真は、展示館の2階である。人々が見ている土の壁に、恐竜の骨の化石がたくさん埋まっている。その土の壁は、かつての発掘現場そのものである。実は、この展示館は発掘現場を建物でおおって、屋根、階段、空調設備、照明などを配置し、展示館としたのである。

このような、人々に発掘現場をそのまま見せるという、展示方法のアイデアを思いついたときも、ワクワクしたに違いない。この壁は、現在、「骨の壁(wall of bones)」と呼ばれている。

観光客は、恐竜の化石骨をいくつか触ることができる。筆者や子供が触っているのは恐竜の化石骨である。人々に、恐竜の骨の化石を直接触ってもらうというアイデアもワクワクしたに違いない。

科学者である筆者は、こういう恐竜の化石骨を見て、実は、「こんな展示になったら、もうおしまいだ」、と思ったのである。恐竜の化石骨はもう神秘でも未知でもない。目の前の化石骨を見ても、触っても、筆者は全くワクワクしない。

恐竜はどんな生き物だったのか? いつ栄え、いつ絶滅したのか? なぜユタ州東部にあるのか? どのくらいの量埋まっているのか?

これらすべての疑問の解答はすでに得られている。考古学的知識と論理はできていて、基本的疑問はすべて解決済みである。となると、筆者はワクワクしない。説明員が、アアダコウダと出来上がった話をするようになったら、科学研究はもう終わりである。「骨の壁(wall of bones)」は、プラスチックの模造品と同じで、見ても、触っても、かつてここにたくさんの恐竜が住んでいたという話を聞いても、全くワクワクしない。

●ウィンドケイブ国立公園で考えた

サウスダコタ州のウィンドケイブ国立公園も観光した。地上は普通の草原だが、地下に巨大な洞窟がある。最初の発見者はJesse and Tom Binghamである。1881年、風もないのに、岩の割れ目から風が吹いてTomの帽子が吹き飛ばされた。それで、地下は洞窟になっているのではないかと考え、探索し、洞窟を発見した。下の写真は、公園レンジャー(案内ガイド)がその岩の割れ目に手をかざしているところである。

ウインドケイブ国立公園の「ウインドケイブ(Wind Cave)」をそのまま日本語訳にすると「風の洞窟」である。発見の由来に基づいてそう命名された。文字に記録された探検記は、1881年のFrank Hebertのウインドケイブ洞窟探検記で、130年以上も前のことである。洞窟発見の初期、洞窟の中にカネになる鉱石があるかもしれないと鉱山会社が探索にのりだした。鉱山会社は後に、観光として経営することに目をつけ、1903年にルーズベルト大統領の時代に米国の8番目の国立公園に認定された。

この洞窟も「骨の壁」と同じだ。最初に洞窟を発見した人、初期の探索者たちは、大きな充実感・昂揚感のなかで熱狂的に探索したに違いない。というのは、この珍しい洞窟が、「人類社会に対して歴史的・学問的な大発見となり、国や所属機関に莫大な富と宝をもたらし、自分自身にも大きな富と名声をもたらす」と考えたからだ。

科学者である筆者は、こういうウインドケイブ国立公園で地下の洞窟を見学しても、ワクワクしない。観光として洞窟を見学しても、初期の探索者たちの100万分の1ほどしかワクワクしない。筆者にとって、洞窟は暗い、狭い、散歩道でしかない。神秘でも未知でもない。自分自身の富と名声になにも寄与しない。

●基幹的な初期の発見が最重要

ワクワクドキドキする現代の科学研究のフロンティアはどこにあるのだろう? もう、南極探検はワクワクしない。宇宙開発もワクワクしない。コンピュータはまだ微妙だが、初期のワクワク感はかなり減少した。

生命科学はどうだろう? 約20年前、「21世紀はバイオの時代」と言われていた。しかし、当時の日進月歩感、ワクワク感はかなり減少した。生命科学はもう終わったのだろうか? 生命科学が終わっていないなら、生命科学のどんな研究領域が「人類社会に対して歴史的・学問的な大発見となり、国や所属機関に莫大な富と宝をもたらし、自分自身にも大きな富と名声をもたらす」領域なのだろう?

在職していたお茶の水女子大学の推薦入試を思い出す。推薦入試では面接が重要な選考過程で、面接官(生物学科教員)は熱心に質問する。受験生(高校3年生)に「どうして生物学科に入学を希望しているのですか?」と聞くと、3分の1ほどの受験生は「生物学の研究者になりたいからです」と答える。「研究者になりたい」受験生は大歓迎なので、質問に熱が入る。「どんな研究がしたいの?」と聞くと、ある年のほぼ全員が、「ポマトを作りたい」だった。それを聞いて、面接官はみんながっかりした。

つまり、したいと答える研究内容は、生物学の未知領域の研究でも基本概念の確立でもなく、新聞やテレビで取り上げられている流行の話題なのだ。当時、トマトとポテトの融合作物としてポマトがもてはやされていた(1978年、ドイツの研究者が開発)。地上にトマトができ、地中にジャガイモができれば一挙両得という発想だ。つまり、トマトのいいところとポテトのいいところを足した作物だ。で、面接官は、「両方の悪いところが足されたらどうするの?」と質問する。受験生は答えられない。なお、ポマトは生物学としてはユニークな技術開発ではあったが、作物としては失敗作で、ジャガイモもトマトも小さいものしかできなかった。

そして、融合作物(ポマト:トマトとポテト)の研究は農学部の方が適しているので、「どうして農学部を受験しないの?」と聞くと、受験生の多くは考えもしなかったようで、びっくりし、答えられず、下を向いて無言になる人が多かった。

現場の科学研究者にとって、科学雑誌、科学ニュース、科学ドキュメンタリー、テレビのバラエティ番組(クイズなど)などの科学メディアが取り上げる科学的内容のお話は、出来上がった過去の研究である。それもいい面だけが強調される。ところが、メディアはその科学を最先端で将来有望だと報道するものだから、世間一般だけでなく、受験生も高校の先生も、だまされてしまう。

新聞やテレビのニュースは、昨日今日起こった政治・経済・スポーツなどの事実を伝える。科学ニュースでもそのような最新の出来事の印象を与えるが、伝えるのは研究成果であり、進行中の研究ではなく、最新ではない(ことが多い)。科学雑誌、科学ドキュメンタリー、テレビのバラエティ番組(クイズなど)は、過去の研究に由来した生き物の生態、皆既日食、宇宙、生物進化を面白そうに語るが、そこはもう掘り尽くされて、新しい未知の宝物は埋もれていない。マスメディアが報道する科学は過去の科学であり、一般大衆が観光する「骨の壁」であり「照明が設置された洞窟」なのである。進行中の科学の中で模索する研究者から見れば、科学の抜け殻である。

筆者は出来上がった過去の研究にワクワクしないし、興味がわかない。そこに、「人類社会に対して歴史的・学問的な大発見となり、国や所属機関に莫大な富と宝をもたらし、自分自身にも大きな富と名声をもたらす」対象はない。

なお、メディアに関する問題は、『バイオ政治学 第3巻 メディアの中の生命科学と生命科学用語のあり方』(松李軒、2012年2月)に記述したので、そちらをご覧ください。

今回は以上です。
次回をお楽しみに。
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